浩ちゃんからのメッセージ〜

 

 

1月(第156回)「新年のご挨拶」

2月(第157回)「歌舞伎に夢中の若かれし頃…こいつぁ春から……(^0^)/

3月(第158回)「一番危ない『楠堂ワールド』

4月(159回)「春!孫!WBC!そしてデキシーキングス二代目BJ奏者、(故)吉野五郎の思い出パート2

5月(160回)「5月と言えば、端午の節句いろいろ(^^)」

6月(161回)「誕生日です!そして僕のあこがれの人々」

7月(162回)「下積み少々…僕だけの為の談志語録、薗田さんの思い出話…etc…」

8月(第163回)「バブリーな時代の仕事あれこれ&ウナギの肝吸いを思い出す映画

9月(第164回)「姉の傘寿」

10月(第165回「健康と主治医」

11月(166回)「酒は旨いねぇ、そして談志語録」

12月(167回)「キセル&そして私00でタバコをやめました」

 

 

第167回

12月でーす!師走です!\(^O^)/…と喜びたいところですが…年齢的に複雑な心境…^^;
気持ち的には凄く嬉しいんです。クリスマスもあって、町中が賑やかになるし…。
大晦日も賑やかで…紅白歌合戦?^^;…除夜の鐘…新年に向かって気持ちもワクワクする!
やっぱり嬉しいのかな(^O^)
『僕はしわすだな〜?』^^;

 

12月は仕事が忙しい方がいいんですけれど、今は……う〜ん…そうでもありません^^;
それなりにお休みも有って、それなりに仕事も頑張ってますが…。
バブリーな時代をついつい思い出してしまいます。
12月の忙しい時期は40回くらい仕事をこなしておりました…。
仕事が終わって、タクシーを捕まえるのも大変な時代!何時間もタクシー乗り場に並び、
ようやく乗車することが出来ます。
『どう?やっぱり暮れは忙しいでしょ!』
「へい!あんまり忙しくって、前向いて運転している暇がありませんや!」
それは困ります。前向いて運転してください。^^;
食べ物屋も景気がいいもんですから、特にお寿司屋さんなんかも混んでる!
『凄いね、やっぱり年末ともなると忙しいね!』
「へい!あんまり忙しくって、トイレ行って手を洗う暇もないんでさぁ!」
そりゃ汚い!手を洗ってください。^^;
やっぱり忙しい方が師走らしくていいですね!

 

そうそう、最近のニュースで《キセル》が話題になってますね。実にいけません!
ましてキセルでお金を儲けるなんて言語道断!(≧≦;)と大きなことは言えません!
僕もグループサウンズをやっていた高校時代、キセルを一度だけやってしまいました。
仲間の居る和歌山へ毎週行くのですが、お小遣いが大変です!^^;
友達が「大阪駅から行く時に一区間だけ買って、
着いてから僕が用意した和歌山の入場券で出れば電車賃が助かる…
いけない事なんだけど…やってみる…?」^^;
キセルなんて……やったらあかん…やったらあかんと思いながら…ついやってしもた!
さて、やってみると気の弱い僕にとっては凄い緊張感で、
改札出る時は心臓が破裂するほどドキドキでした。
結果は成功いたしましたが、安堵感と罪悪感が入り混じって変な気分でした。
そしてその日は楽しく練習をし、友達の家に泊まらせてもらって次の日帰るのですが、
帰りが大変でした^^;大阪で前もって買っておいた入場券で出る予定(なんと無茶なーー;)
もちろん前日の日付が打ってある。大丈夫かなと心配していると、友達が
「大丈夫だよ!日付なんて気づかないよ、
それにそんな細かいところまで見てないから!大丈夫!大丈夫!」
と、友達の気の強さが羨ましかったです。
気の弱い僕は大阪の駅に降り立った時には、心臓バクバク(;´Д`)頭パニック、
腰が躍り、足が引きつり、手が震える^^;
駅員さんに切符を渡した時の一瞬は心臓が大爆発でした!(;´Д`)
切符を渡してから改札を通る瞬間の時間が長いのなんのって、
超スローモーションで動いているようでした。(。??д???。)/
改札口を過ぎた時、やっぱり…『もしもーし!お客さーん!お客さーん!!!』
とこちらへ飛び出して来た^^;
『待ちなさい!これ昨日の入場券だよ!ちょっとこっちへ来て!』
と腕を引っ張られ駅長室に連れていかれ
「どっから乗ったの?一人?キセルはいけない事でしょう!
何回もやってるの?…見たところ高校生だね!学生証見せて!学校に連絡しようか?」
『お代官様、どうかそれだけはご勘弁を!
こんなに年貢を取られたら…死ねっという事じゃないですか!』
^^;冗談ですが^^;(笑いごとか!)
その頃は頭が一厘刈りで可愛く、まじめな高校生を演じておりましたから、
何度も頭を下げて…『すいませんでした。すみませんでした。m(_ _ )m』
「…まぁ、今回は初めてのようだから学校にも家にも連絡はしないけど、
今度見つけたら警察、学校、自宅に連絡しますよ。二度とやらないように!
まだ高校生だろ?じゃ、きちんとお金だけは払ってね。お金持ってる?」
実際はもっとこっぴどく怒られましたが…^^;
友達はどうしたかって?…『あの野郎!上手く突破して逃げて行きやがった!><;』
皆様、キセルは止めましょう!(お前だろ!)m(_ _ )m
こんなキセルをしなくてもただで乗る方法があります。ただで!それはね……
《車掌になるべし!!!》^^;
そりゃそうだ!…(^O^)/

 

《楠堂ワールドにようこそ!》\(^O^)/

 

《47年お世話になった?タバコを止めてみました。
あらよあらよと何も考えないで、もう三ヶ月になります。
別に止めるつもりは無かったのですが、なんとなくタバコが不味くなって…^^;
36年前に十二指腸潰瘍になった時に煙草を40日ほど停煙してたのですが、
キングスの5人の先輩達が『浩ちゃんどうしたの?タバコは?やめたの?
ふ〜ん…やめない方がいいよ!こんな美味しいものをやめるなんて…
ふ〜ん…ほら、いいにおいするだろう(^0^)』
…と誘惑と脅しのような誘いに負けてしまい^^;又タバコに手を出してしまいました。
それからずるずると今日まで吸っていたのですが、
このホームページの管理人さん《ウサギさん》から『こういうのが有るよ』と勧められました。
ニコチンもタールもなく水蒸気を吸って水蒸気を出す。その上ビタミン剤も入っている。
結構、今そういう変わったタバコが色々出ているんですね。
副流煙問題も出てきているし、タール抜きのニコチンだけのタバコとか…
それでもタバコはタバコですよね…それも考えたのですが、
僕の場合はタバコの1ミリという一番弱いのを吸っていました。
それに外に出ると吸わないし、吸う時はお酒を飲んでいる時だけでした。
それに吸いたいんですけど…吸うとそんなに美味くなく、ほとんど惰性で吸っておりました。
そんな時、ウサギさんから紹介され、現在に至っております。(^O^)/
紹介されたのは《ビタフルVITAFUL》というもの。ビタミンが一杯入っています。
たとえば《ビタミンA,B6,B12,C,D,E,コラーゲン、ヒアルロン酸、コンドロイチン他》
吸うって作業はまだ止められておりませんが、タバコは今のところ吸いたくは有りません。
思い返せば、高校卒業して直ぐにHOPEホープを友達に勧められるままに吸いだし、
男である以上、タバコやお酒、女くらいはたしなまないと?^^;…
お酒は中学生から飲んでおりますけど…^^;女性は中学生で芸者遊び^^;(関係ないよ!><;)
初めてのタバコは目が回りました!…(;´∀`)クラクラ…
タバコを吸ってクラクラするのが楽しくって、
毎朝インスタントコーヒー(ネスカフェ)と一緒にタバコを吸うのが日課になり^^;
朝のコーヒーを飲みながらタバコでクラクラ(;´Д`)を楽しんでおりました。^^;
タバコの種類はホープに始まり、ハイライトやピース、キャメル、若葉、ゴールデンバット、
チェリー、エコー、そしてパイプに懲り始め、
葉っぱはアンホーラー、ダンヒル他色々、少し葉っぱにブランディーを混ぜると美味しい!
そしてセブンスターからメビウスに落ち着き^^;今ビタフル!(^0^)/
吸っていた時代は缶ピースが一番強く、何ミリだったんだろう?喉に刺激のあるタバコでした。
後、10ミリ、8ミリ、6ミリ、3ミリ、1ミリになって、トータル47年!!!
たばこ代で家が建ったんじゃないかな?…そんな事は有りませんが…
でも、相当な額になりますよね…一日ひと箱でしたから。^^;
今現在、喫煙者が少なくなり、喫煙者が肩身の狭い思いをしております。
嫌な時代になりましたね…。−−;
アメリカへ行った時が一番辛かったです。吸えるところがホテルの自分の部屋しかなかった^^;
美味しければ僕は今でも吸っていたと思いますが^^;
止めようと思ってやめてるわけではなく、まずくなったから吸わないだけです。
若い時は、パイプにも手を出し、結構ヘビースモーカーだったかな…。
朝、起きがけの一服!トイレでの一服^^;(臭い!)
その昔はタバコを吸っていない方を見つけるのが難しいくらい。
古い映画を見ても女優さんは別にして、
男優さんなんかは、ほとんど映画の中で吸ってらっしゃる!
吸ってもいい時代だし、そこには又、たばこが必要だったのですね。
その時代のタバコの匂いは気にならずに、日常の事なので、
吸わなかった方も何も感じなかったんでしょうね。
僕が吸いだした頃は、飛行機も全席喫煙出来たし、歩き煙草も皆さん普通に、
レストラン、食堂、そうそう東海道本線や地方のローカル線なんかも喫煙OKでしたね。
凄い時代でした。
アメリカの古い時代のジャズのビデオを見ても、
ミュージシャン全員タバコを吸いながら演奏しているのを見かけます。
ピアノ、ドラム、ベース、皆さんくわえタバコ!^^;
トランペットは指に挟み、サックスは楽器に挟み、持てない方は灰皿を用意をしてタバコを置く…。
凄い時代でした!酒、たばこ、ダンス、ジャズミュージシャン、
そして煙が店中にムンムンと渦を巻く風情!古き良き時代でした。\(^O^)/
最近「男はつらいよ」を渥美清さんを忍びながら全巻1〜48話、
他スペシャル版もすべて見させて頂きました。
寅さんは別にして、ほかの出演者全員タバコを吸ってらっしゃいました。
「おいちゃん」も「タコ社長」も「ひろし」も、
男性ゲストも全員と言っていいくらいタバコを映画の中でプカプカ吸っておりましたね^^;
吉永小百合さんの前でも^^;松坂慶子さんの前でも^^;八千草薫さんの前でも^^;
でも今見ていると自然なんですね…。今、映画の中で吸っているタバコは煙たくなりますが…^^;
僕の義兄、(故)露の五郎兵衛さんも若い頃は大のタバコ好き。
何だったかな?たばこの銘柄は?……そうそう…今はもうありませんが、
《LUNA(ルナ)》甘い匂いがしてたな…僕も真似をしてルナにしたことがありました。
あまり好みではありませんでしたが、兄貴と一緒の事がしたくて^^;
まずタバコを包んであるフィルムを取って銀紙を綺麗にはがし、
フィルムに銀紙を綺麗にたたんで捨てる。
次はタバコ…たばこのケースの真ん中をポンと叩くとタバコが飛び出し、
それを口にくわえゆっくりと火をつける…100円ライターなんてとんでもない!^^;
ダンヒルかデュポン!タバコの味が違うそうです。
煙草に火をつけ、ゆっくり深く吸って、天上に煙を出す!
『フー(#^.^#)初めの一服が美味しいな!』と幸せそうに呟き、美味しそうに又次の一服を吸う!
煙草の灰は灰皿のはじの方に固めて落し、吸い殻のタバコは、すべて同じ長さに並べ灰皿の中へ!
(寸分の狂いもなく、几帳面でした。^^;)
結構ヘビースモカーで一日4箱ぐらい吸ってたかな?
吸い終わったタバコのケースは綺麗にたたんでごみ箱に捨てる…
露の五郎兵衛さんは、タバコの扱い方は女性を扱うくらいに優しく愛情を掛けていたんですね。
僕もそうです!\(^O^)/バンザーイ!
こんな事を書いていると元に戻りそうなので、この辺で止めておきます。^^;
兎に角、タバコはやめております。
皆様、吸い過ぎにはご注意を……お前に言われたくないって(#^.^#)》

「立川談志語録:煙草をやめるなんてのは、意志の弱い奴がすることです。」

 

ご清聴ありがとうございました。それでは凝った肩をもみほぐしましょう。
どうぞ!

 

大晦日って言うと江戸時代は掛け取り、今でいう借金取り、そんな小噺をどうぞ!^^;


☆大晦日今はへそくりあてにする


☆貧乏すれどこの家に風情あり、質の流れに借金の山

 

《この暮れは、どうにもこうにもやり繰りがつかないという男。
どこからか都合してきた棺桶の中に入って、女房に申しましたですな…。
 「俺を死んだことにして、何とか今夜をやり過ごしてくれ」
 『そんなバカなことをして、後をどうするんだよ?』
 「なぁに、元日に生き返ったと言えばいい」
無責任なヤツがあったもので…。そこへ米屋が掛取りにまいりましたな。
女房は、あまりの情けなさに涙を零しながら、しどろもどろの言い訳、
『主人が…主人が…』と泣きまねを…いたしますてぇと、気のいい米屋、
『この暮れへきて、急に亡くなったとはお気の毒。せめてこれでも…』
と、いくらかの銭を置こうとする。
「とんでもないことで、お借りしたものをお返しも出来ないのに、これはいただけませぬ」
『そう言わずに取ってくだされ』
押し問答をしておりますと、棺桶から手が出て、
「くれるというものは、もらっておけ!」》

 

《掛取りに回る手代の方にも、泣き落としの決まり文句がございましたそうで、
「今日は大晦日、たとえ半金でも払ってくだされ。手ぶらで帰っては、
主人の手前、わたしが首をくくらねばならぬ」
『すまぬが、今夜のところは、そうしておいておくれ』
「えっ、それはないでしょう、旦那!なんとか少しだけでも…。でないと首を…(−−;」」
『そんなに泣きつかれても、ない袖は振れません』
「後生でございます!」
こちらは橋の下を住まいとする、乞食夫婦でございます。
「ねえお前さん、町中では、払え、払えぬで大騒ぎしているようだけど、こっちは気楽でいいねぇ…」
『これ!大きな声で言うんじゃない』
「あれ、どうしてだい?」
『みんなが乞食になりたがる…』》

 

これが現代になると


☆《押し入れで息をこらして大晦日》という川柳がございますが、
『きー坊、ええか、借金取りが来たらなぁ、お父ちゃんは出張や!って言うといてくれ!ええな!』
「お父ちゃんは何処行くねん!」
『お父ちゃんは二階で隠れとるからな…ええか!頼むで!』
「よっしゃ任しとき!」
しばらくすると『ごめん!酒屋ですが……お代を頂きに参りました…お留守ですか?もし!』
『誰や?』
「あッ坊や!お父ちゃん居てはるかな?」
『おれへん!おれへん!』
「お父ちゃんは何処へ行ったのかな?」
『お父ちゃん出張や!(><)』
「どこへ出張したんかな?」
『二階へ出張や!』

 

皆様、これから冬本番でございます。
風邪を引かないように、良いクリスマス迎え、楽しい年末をお過ごしください。
それでは今月も応援よろしくお願い致します。


……うん?都々逸が無いと寂しいって?
では(^O^)/

♪テツンテツツンシャン♪
♪人の気も〜知らずよくまぁ〜こんなに眠る〜顔へ〜たばこを〜吹いてやる〜♪
《人の気も知らず、よくまぁこんなに眠る、顔へ煙草を吹いてやる》

風情が有っていいですね…
では又、来月!\(^O^)/


2017年12月1日(金)

 

 

 

 

第166回

10月です。\(^0^)/11月…えっ、もう11月…もう今年も終わりだよ…
来月は大晦日、再来月は正月…ふ〜ッ…考えるのはよそう!
明るく、明るく、11月です。\(^O^)/
今月も張り切って、楽しく参りたいと思います。

 

先月、仙北郡三郷町國乃誉ホールの打ち上げで、幻の酒《森伊蔵と魔王》を頂きました。
森伊蔵…多分…目黒に住んでいる頃に九州から送って来て頂いたのを飲んだっきりだから…約35年振りくらい^^;
有り難くストレート(生)で頂きましたが、ちょっと調子づいて飲みすぎました。^^;
お酒に興味のない方にはわからないと思いますが、滅多に手に入らない代物,幻の焼酎です。
お金を出せば買えますが、我々庶民には手が出ない代物。歯が立ちません!(;;)
《やけのヤンパチ日焼けのなすび、色が黒くて食いつきたいが、あたしゃ入れ歯で歯が立たないよ!》
っとくらぁ^^;
手が出ません!黒霧島が背一杯!^^;
森伊蔵!美味しいかい?って、美味しいかいどころの騒ぎじゃないよ。
神武この方、日本国中の焼酎の中で美味いと言ったらこの森伊蔵が日本一でしょうな!
「森伊蔵から小遣い貰ってんのかい?」^^;いやいや…
でも秋田はなんと言っても日本酒の本場!新政、高清水、飛良泉、刈穂、雪の茅舎、
白瀧、天の戸、まんさくの花、大平山、一白水成、その他有銘酒が20種類くらいあるそうです。
僕はもう日本酒はいけません…底抜けに飲めた時代に帰りたい!(ノД`)・゜・。

 

さて11月といえば立川談志師匠が亡くなられた月、2011年11月21日没
談志さんとは思い出がいっぱい…でもありませんが^^;それでも35,6年お世話になりました。

 

《立川談志語録》

 

《酒が人間をダメにするんじゃない。人間はもともとダメだということを教えてくれるものだ。》
《尊敬されて、仕事があって、発想も、状況を把握できる頭脳もまだある。
それを幸せと言わずして何というか。》
《天狗になるくらいでなきゃあ駄目じゃないかと思ったね。
青臭いかもしれないけど、天狗になってるときの芸は威勢がいいんですよ。》
《小言というのは、己の『不快感の瞬間的発散』であって、『教育』とは違う。》
《煙草をやめるなんてのは、意志の弱い奴がすることです。》
《バカは火事より怖い》
《なにしろ老いの初心者だから》
《イイ奴とは自分に都合のいい奴である》
《馬鹿とは状況判断のできない奴のことをいう》
《クソを喰らって西へ飛べ》
《よく「芸を盗む」とかいうが、あれは嘘だ。盗む方にもキャリアが必要だ。
時間がかかるんだ。教える方に論理力がないから、そういういいかげんなことを言うんだ。》

改めてご冥福を祈りたいと思います。合掌! m(_ _ )m

 

それでは今月も応援よろしくお願い致します。\(^O^)/

2017年11月1日(水)

 

 

 

 

第165回

10月です。\(^0^)/
一ヶ月のご無沙汰です。司会の楠堂浩己です。^^;皆様如何お過ごしですか?
最近、ずっと新聞テレビを賑わしてる北朝鮮ミサイル問題…怖いですね。
アメリカ、トランプ大統領の北朝鮮への発言…これも怖いですね。
我々日本人はアメリカとどう付き合えばいいのか、北朝鮮とどう向き合えばいいのか…と、
このような難しい話をしたところで…人生の半分以上行き抜き、考える能力もなくなり、
思考力は落ち、記憶力も落ち、髪の毛は落ち、歯が抜け落ち、器量が落ち、階段から落ち、
後は命を落とすだけです…。^^;
皆様如何お過ごしですか?今月も張り切って参りましょう!(^O^)/

 

さて、10月と言えばもうすっかり夏の色も消えまさに秋一色、朝夕の涼しさ、夕焼けの美しさ、
トンボが飛び交い、秋の虫たちがいい喉を聞かせてくれる。
《ひぐらしが鳴けば来る秋…あたしが今日で三晩泣くのに来ない人》
なんてぇ洒落た都々逸が有りますが、なんとなく人恋しくなる季節ですねぇ……
おっと…いけねぇ…ついセンチになってしまいやした。^^;
なんと言っても食欲の秋!天高く馬肥ゆる秋。
米、魚、野菜の美味しい季節。\(^0^)/
米でいうなら今は「新米」のシーズン。
そして野菜「秋茄子は嫁に食わすな」と言うくらい野菜も美味しい季節。('◇')ゞ
魚なら「秋鯖は嫁に食わすな」('◇')ゞ「秋刀魚は猫に食わすな」うん…これは違いますね^^;
秋は秋刀魚もカマスも美味しいですね。
僕の友達にお米で有名な山形の「はえぬき」に務めている友人がいます。
これが友達なのに米を一度も送ってくれた事が無い!−−;
まぁ若い時に『たまには米を送ってよ!』「わかりました。」……それきり…^^;
この間その友達の知り合いの農家に米泥棒が入り、米をごっそり盗まれたそうです(><;)
心配で電話してみると「いやぁ…心配ないよ!直ぐに召し(飯)取られたよ!
なんかよくよく聞いてみるとしんまい(新米)だったらしいよ!」
座布団三枚!

 

先月新潟に仕事で行ったのですが、ホテルの朝食のお米(コシヒカリ)が美味く、
思わず山盛り2杯おかわりしてしまいました。
そして昼職に枌蕎麦を頂きましたが、これもツルツル喉越しよく美味しかったです。
その前日もコンサートの前夜祭で越乃寒梅を頂き、家庭料理もおいしく、ついつい飲み過ぎてしまいました。
新潟はお酒も美味しいし米も美味しいし、蕎麦も美味しいし、言う事なし!(^。^)y-.。o○

僕の大好きな食べ物は一杯有りますが、中でもやっぱり鯖かな…
「秋サバは楠堂に食わすな」と言うくらい大好き!光り物(青魚)は体にもいいし、美味しい!
後外せないのがやっぱり、楠堂と言えば、これ!
ポテトサラダ、卵、チーズ、シガービスケット^^;
根野菜(蓮根、ゴボウ、タケノコ)この根野菜の素晴らしさは凄い!
整腸作用が申し分ない!ただ炭水化物なので……ウエストが^^;

 

でもこんな食生活をしておりますと、健康診断はオールAAAAAAAA…です。
自分でも不思議なくらい、嘘みたい^^;
主治医の先生も何か悪い所を指摘したいようで、結果表を見ながら
「あれ?…Aばかりですね…前立腺がん、大腸がん…大丈夫ですね…尿酸値、肝数値、心電図も問題なし…」
首をかしげながら「大丈夫そうですね…ハイお疲れ様、帰っていいですよ」と寂しげでした^^;
どこか悪い所が有った方がよかったような^^;

この主治医の先生、2002年平成14年からの付き合い?ではなくお世話になっております。
と言う事はもう15年も毎月一度、通院しております。

平成14年8月、51歳で野球のやり過ぎで汗をかき、ビールの飲みすぎ、
プリン体の多い食べ物ばかり食べて見事《痛風》発症!
忘れも致しません8月10日、炎天燃えるような暑さの中で野球をし、尋常ではない汗をかき、そのままお風呂へ!
その日はお客様からしゃぶしゃぶを食べに行きましょうと言うお誘いがあったので、
水も飲まず、喜んで参加!^^;
着いて生ビールを立て続けに2,3杯、肉を何人前食べたか分からないほど^^;
ビールから日本酒に、そして最後はまたビールで締めくくりました。
(なにを自分の首を絞めとんのじゃ!ーー;)
夜寝汗をかいているんですが、普段とは違うネトッとした汗(;'∀')
…そして11日の朝!足の指の痛みで目が覚め
《ズキーン!ズキーン!なんじゃーこの痛みは!(≧◇≦;)》
年に1度もしくは2度程度しか行ってない病院、足を引きずって診察室に入ると先生が僕の足を見て、
『あっ、痛風ですね!』
「そうなんですか?…痛くて痛くて歩けなくて、何とかしてください。m(_ _ )m」
『どうにもなりませんね…(−−)』
「( ノД`)シクシク…」
『1週間から10日ほどで痛みが引きますから、我慢してください。お水を一杯飲んでね!
おしっこを出す漢方薬と炎症を抑える漢方を出します!
はい、では血液検査もしておきます。痛みは我慢して下さい。』
「すいません、あのう…足を使う仕事をやっているので、何とか痛み止めを頂けますか?」
『何をやってるんですか?…うん?ドラム?それはいけませんね、では座薬を出します。
自分で入れられますか?入れられなかったら奥さんにでも…』
「(そんな恥ずかしい事が出来るかい!)」
『人によって違いますが約12時間効くようになってます。でも1日2回は使用しないように。
それと食べ物ですが、食べていいものといけないものの表をあげます、必ず守って下さいね』
表を見たら…ほとんど食べるものが無くなってしまい、お陰で3,4カ月で10キロほど痩せました。
痛風になった時の血液検査ではすべての数値が悪く、尿酸値は8,2でした、痛いわけです。
『駄目ですねぇ、この診断の結果は最悪です!肝臓もコレステロールも中性脂肪も、
善玉、悪玉コレステロール、お酒の飲みすぎ、脂っこいものを取り過ぎ、ほら全部数字に表れています。』
呆れかえられ、こんこんと説教?というか指導を延々と^^;
足を引きずりながら帰りましたが、この痛みは、なった人にしかわかりません。
発作が起きた次の日に中川喜弘(Tp)さんのライブの仕事。
この方は僕のドラムが好きで、何かと言うとドラムソロが多いんです。
普段は嬉しいんですが、この日ばかりは……。
『中川さん,昨日痛風になって痛み止めを飲みましたが、今日はお手柔らかにお願いいたします』
「えっ、痛風!……でもねぇ…僕に言わせると痛風なんて痛みじゃないよ、
僕は胆石をやってね,痛い処の騒ぎじゃないよ!七転八倒の苦しみと痛み、これを経験しているからねぇ…
痛風なんて病気じゃないよ!大丈夫、大丈夫!」
その日は3ステージ、1回目、2回目、しっかりロングソロをこなし、^^;痛みは出ない(^0^)/
ところが3回目のステージが始まるあたりから徐々に痛みが
『痛い!痛い!痛い!…最後まで持つかな…痛い!痛い!』脂汗が出て来た!
『やばいペダルに足が置けない』隣のベースの小林君が心配そうに、笑いながら僕を見てる。
(心配しているのか、ただ可笑しいのか…?^^;)
中川さん「それでは最後に浩ちゃんをフィーチャーしてタイガーラグ!」
『死ぬ―!さ、よ、な、ら、(;_;)/~~~( ;∀;)−−;(−−メ)』
死に物狂いで…頑張りました。
そう言えば、その時中川さんに聞き忘れていました。どうなんだろう…
「その胆石で七転八倒で苦しんでいると時にトランペットを吹いたの?」

そんな訳で体の事は、主治医の先生にいつも気遣ってもらってます。
肺レントゲンが1年に1回、エコー検査も、血液検査も半年に1度、
胃カメラも年に1度、咳が止まらなくて見てもらう、熱が出ては見てもらう、
腰が痛いと言えばシップ薬を出してくれる、
ここがかゆいと言えば…かいてくれます(それはないやろ!)お薬をくれます^^;
でもお薬代も大変です。お金はかかりますが、よく心配してくれます。

1回ピロリ菌検査と言うのをやりました。
「丸岡さん、一度ピロリ菌検査やっておきましょうか!大事ですから。」
『ハイ、お願いします。』
袋に息を入れてピロリ菌が居るか居ないかを検査する……後日結果を聞きに行った時、
「う〜ん、何ともありませんね…おかしいな?」
だったらいいじゃないと思いますが、盛んに「おかしいな?」
ピロリ菌有った方がいいのんかい!と言いたくなる^^;
「じゃ今度は検便で調べてみましょう」
(まだやるんかいーー;)『ハイ、じゃお願いします』と可愛く言いましたが…。
検便の結果の日『どうですか?ピロリ菌は出ました?』
「う〜ん、おかしいなぁ…いや、大丈夫、出てません、異常ありません」
ピロリ菌が無くて寂しかったのかな?患者さんにうんちくを言いたかったのかも(♯^.^♯)
そう言えば一度、肝数値が高かった時、水を得た魚のようによく喋り
「お酒を毎日どれくらい飲むんですか?あのね、ビールを飲んだらね、
飲んだビールのカンカンを前において飲めばいいよ、一日三本て決めてね。
日本酒もお銚子を前において3本て決めて飲めば…休肝日を作りなさい!
後、塩分が多く出てるけど何を食べてるの?
うん?レトルトのカレー?ダメダメ塩分は一日4〜6グラムが限度!、
白身魚がいいよ!オリーブオイルで焼いて塩胡椒を少し」
『先生自分で作るんですか?』
「作るよ!たまに白ワインを一杯、レトルトは止めた方がいいですね…それと休肝日を忘れずにね」
患者さんと会話がしたいんですね(*^_^*)でも診察室に入る時、必ず顔を確認するんですよ。
痩せたとか太ったとか、顔色が悪いとか、瞬時に見てくれてるんです。
「あっ、丸岡さん顔色が悪いね、聴診器を当ててみますね。はい口開けて―、あーと声出して…いいですよ!
(看護師に向かって)すいませーん!丸岡さんの血圧測ってー!」
そして、多少病気を持ってた方が喜びます。…困った先生だ!^^;…でも有り難い先生です。
でもその病院(個人の病院です。)はいつも満員で、知らないで入ると2時間待ちが普通。
僕なんかは朝8時に並んで予約表に名前を書き込むようにしております。
上手く行けば1番になれますが、滅多にありません。
兎に角、親身になって患者さんの病気を心配してくれるので、診察の時間が長いのです。
患者さんとしては有り難いです。一生懸命問診をして薬を決めてくれるから安心です。

 

皆様、楠堂は元気です。


何時も全力投球を絶やさぬように、これからも精進いたします。今月も皆様の応援をお待ちしております。
まだまだ朝夕の寒暖の差が有ります。体を壊さぬよう気を付けてお過ごしください。
今月もよろしくお願い致します。\(^O^)/

 

《楠堂ご推薦、都々逸》
♪花は〜口実〜お酒は道具〜酔って〜しまえば〜出来心〜♪
♪面と向かって〜言えない気持ち〜あなたの〜背中に〜指文字二文字〜♪
……そう言えば、三亀松師匠は元気かな……。

 

お馴染み艶笑小噺
《三角関係》
え〜、三人てえなぁ、いくら友達でも気の揃わない事が有るもんで、これが男1人に女2人だの、
女1人に男2人…なんてぇことになりますと、三角関係てんでややこしい問題が起こりがちで……。
女房と妾が男ォ中に挟んで
女房「お前なんざぁ殺してやる」
妾『殺してやりたいなぁこっちのほうだ!』
女房「あら、つねったわねぇ」
妾『きゃーっ!』
なんて、髪を掴み、爪を立てての大喧嘩。いわゆる悋気(りんき)喧嘩てえやつで、
亭主ァ自分の蒔いた種でございますが、もう取り鎮めようにも尋常の手段じゃぁどうしようもない。
床の間の刀取るってぇと、ギラっと引っこ抜いて、妾の方に、
『やい!てめえが悪い!隠し女の分際で、何だって家まで乗り込んでくるんだ!
許さねえ、殺してやるから来いッ!』
てんで、片手で襟首をつかんで、奥の部屋へ引きずり込んで行きます。
『この野郎!ふてえ野郎だ!命ァもらった覚悟しろ!』
妾『きゃー!助けてー!』隣の部屋に聞こえるように…。
むろんこれはお芝居で、男ァ本当は女房より妾の方が好きなんですから、
そこへ押し倒すと、早くも口を吸ったり、触ったりで、始めちゃいました…。
女房の方はこれで厄介者が居なくなると喜んで…、しばらくたって悲鳴も聞こえなくなったので、
もしかすると息が絶えたのかもしれないと思って、恐る恐るふすまを細く開けてのぞいてみると、
中で妾があられもない格好で『あー、死ぬ、死ぬ…』
女房びっくり仰天、眉毛を逆立て、ガラッと開けて
女房「このような殺しようなら、私を先に殺しておくれ!」

 

《秋葉ッ原》
えー、昔から《ところ変われば品かわる、難波の葦(あし)は、伊勢の浜荻》なんてえことを申します。
こりゃ本当は”品かわる”ンじゃなくって、”名がかわる”と言うんだそうです。
江戸で夜鷹が京では辻君、大阪へ参りますと惣嫁(そうか)、てんで……。
暗い夜道に立っていて、通りがかりの男の人に、
「ちょういと、ちょいと、おまえさん、遊んで行かないかい」と、袖を引っ張る女子集の事でございます。
昔は月夜とか提灯が無ければまったく見えない時代、町人は月夜だけが頼り……
甲「おう、近ごろ秋葉ッ原によぉ、ちょいと乙な女が出るのを知ってるかい?」
乙「ほう、どんな女だい?」
甲「年ァ四十でこぼこらしいが、肌ァ餅肌でそりゃ白い、小太りなんだ。
うん、骨ばった女ァ、浅くっていけねぇや。そいつがよォ、またいいんだ、好きなんだよ。
本当の助べえってなァ、ああいう女をいうんだろうなァ」
乙「ふーん…」
甲「なんでもな、あんまり好きなんで亭主の方が根を上げる…。
とても続かねえんで3度に1度は尻向けて寝る。
そいつが気に入らねえんで、その女ァ、こっそり家を抜け出して商売に出てるって話よ。
ウン、人のかかぁだし、道楽で夜鷹ァやってるくれえだから、
鼻ッ欠けの心配は要らねえし、そう、銭もねだらない……。」
乙「夜鷹の掘り出しもんだなァ」
甲「だからさァ掃き溜めに鶴って評判よ」
乙「おめえ、遊んだのかい?」
甲「いや、遊んだ奴の友達の弟に聞いたんだ。どうだい、行かねえかい?」
乙「そりゃ何処だい?」
甲「うん、なんでも秋葉ッ原の、なんでも秋葉様の裏当たりの、材木置き場のとこらしいんだ…。」
乙「うん、行こうじゃねえか、善は急げってえことわざもあらあなぁ…。さあぁ…行こう!」
甲「おらぁ今夜具合が悪いんだ、親方ンとこで、ちょいと用事があるんだ」
乙「しょうがねぇなぁ、子供に飴玉見せといて、取り上げるみたいなもんだぜ、罪だぜ、そりゃ…。」
甲「おめえ一人で行ってきたらどうでい!
何でも、豆絞りの手拭を口にくわえてるてえから、すぐにわからァ。じゃあ、あばよッ!」
友達ァ、すーッといってしまう。
乙「据え膳食わぬは男の恥…てえぐらいのもんだから、一人で行ってみよう。
幸い腹掛けの中にゃ今日の手間賃がそっくりあらァな
(ポンと腹のあたりを叩いて、それから歩きながら)
あんちきしょう掃き溜めに鶴だってやがらぁ、ウチのかかァだって、あんまり嫌いな方じゃねえが、
その女ぁ、よっぽどすきなんだな、きっと……。
《あら、ちょいと、おまえさんの、随分立派だわねェ》
町内の湯屋でも、稀の中に入らァ!
《まァ、嬉しいよ、お前さんのものは、あたしのものだよッ》
てんで、おれにかじりつかァ…テヘヘ…。そろそろこの辺りだな?えーと、豆しぼり、豆しぼり……。」
≪材木に巣を掛けて待つ女郎ぐも≫
材木の陰から、豆しぼりの手拭を加えた女が、ひょいと出て、手を取って暗闇へグイッと!
江戸の昔の事でございますから、夜ァ真っ暗でございます。三日月の晩のそれも曇り空。
おまけに材木の陰ですから、そりゃ真の闇。
ゴザが引いて有って、その上へ寝っ転がって、手探りでおっぱじめようという寸法……。
こちらは町方のお役人衆、兼ねて噂が耳に入っておりますから、
風紀を乱すけしからぬ奴、引ッとらえてくれようと手ぐすね引いて隠れている。
息をひそめて地べたに張り付いている!
それを知らず材木の陰で、いざことに及ぼうとした瞬間
役人『御用!御用!』てんで
強盗提灯(銅またはブリキの釣り鐘型の外郭を作り、内はろうそく立てが自由に回転するようになっている)やら
御用提灯がパッと照らされた。
役人『御用!』
乙「たはーッ、ごかんべんを!」
役人『ならぬ!風紀乱す不届き者めッ!神妙にいたせ!
乙「いえ、ご勘弁を!…これは女房です。」
役人『たわけた事を申すな!夫婦ならば、なぜこのような場所で致すのかッ!』
乙「へえ、今照らされて、初めて女房とわかりました。」

 

〆でございます。


《〆都々逸》

♪テツンテツツン?シャン♪
♪いっそ〜肋(あばら)の〜挫けるほどに〜抱かれて〜泣きたい〜しみじみと〜♪


2017年10月1日(日)

 

 

 

 

第164回

2017年ー!('◇')ゞ 9月だー!\(^O^)/

先月27日、弟子の竜也君から巨人戦の切符を頂き、東京ドームに対阪神戦を見に行って参りました。
席は何と!シーズンシートのオーナー席!バックネット裏の特別席でした。
新幹線で言ったらグリーン車みたいな最高の席!
持つべきものは良い弟子ですねぇ^^;
ドームに入るとお土産に巨人軍の応援タオルとグッズ一品、それにウェルカムドリンク1杯……(^。^)y-.。o○
こんな素晴らしい待遇ってあるんですね…オーナーシート…凄いんですね\(^O^)/
もちろん、試合は巨人軍の大勝利!(6対0)
6回までは阪神に押され気味の試合、
前に座っている阪神ファンのご夫婦、こ憎たらしいほど活舌が癇に障る!
「今日も楽勝ね…阪神…いいんじゃない!うん、うん、うん、いいねぇー!イェー!」
…でも7回の猛攻と巨人軍の応援で急に元気がなくなり^^;沈黙と怒りと狸寝入り(;'∀')
ご主人が声を掛けても知らぬふり−−;
僕は騒ぐだけ騒いで巨人ファンと一緒に大盛り上がりヽ(^。^)ノ
その阪神ファンの方、怒って途中で帰って行ってしまわれました。
少し可哀そうでした。…いやいや情けは無用です。由伸巨人軍!クライマックスを手に入れろ!!!!!
巨人軍!兎に角、頑張って下さいね。
そして楠堂は《闘魂こめて!♪》を歌いながら帰って来ました。(^O^)/

9月1日の談志御託週めくり!《糞でも喰え!》2日から《嘘オッー》
9日から《道具やお月さん見て跳ねる》16日から《秋刀魚はスーパーに限る》
23日から《バスで帰ろうネ》30日は《骨ぁ釣れるか…骨ぁ…》でした^^;
先月は大雨や猛暑とすっきりしない天気・・・
暦的には秋になるんですが、さて今月はどうでしょうか…素晴らしい秋晴れが続くことを願います。
週間予報を見ると雨だったり曇りだったり、気温も30度を切って凌ぎやすいのか?ジメジメなのか^^;
今月は雨男や嵐を呼ぶ男にならないようにできればいいのですが、
僕のライブの日に限って雨になったり、嵐になったり…
ライブにお見えになった常連のお客様《浩ちゃんだからしょうがないよ…》
《また浩ちゃんが降らせたの?》《よく降るわね…(と僕の顔を見る^^;)》
《やっぱりね…楠堂さんが降らせたんだね…
雨が降ってるから「ディガディガドゥ(嵐を呼ぶ男に似た曲)」やってよ!》
キングスのメンバーの方も僕がリーダーでやっている、
第3水曜日の浅草ハブと、第2火曜日にやっている赤坂ステージ1の曜日は、
さけてライブを取らなきゃと言ってる。(選べる立場か!><;)   
そうならないようにお天道様、宜しくお願いいたします。(^O^)/

今月は嬉しい事が一つ、一番上の姉が傘寿(80歳)を迎えます。嬉しい事です!素晴らしい!
小さい頃から面倒を見てもらって来た姉『傘寿、おめでとう!何時までも長生きして下さいね。』
僕は5人兄弟の一番下なのですが、兄弟全員生きております。^^;(当たり前じゃ!)
幼少の頃に両親を亡くし、父親の顔なんか覚えてもおりません!母親の記憶は少々(^。^)y-.。o○
覚えているのは泣いて母親を困らせた記憶ばかり、兎に角、困らせた事しか覚えておりません。^^;
父親の顔も知らず、母親の愛情も知らず、
「この子は不憫な子だと…(;;)この子だけは私が面倒を見る」と姉が…。

大人になって姉が僕の幼児期の頃の話をしてくれた事を思い出します。
もちろん母子家庭ですから家も貧しく、
姉は僕の子守や姉の子守もしなければなりません!もちろん遊ぶ暇なんか無かったそうです。
子守をし、勉強をし、家事も手伝い、大変だったそうです。
僕は今でも母親の背中の記憶はかすかに残っておりますが、
姉が僕をおんぶして子守をしていたなんて、言われるまで考えもしませんでした。
残念ながら姉の背中の記憶がありません…^^;
姉が言うには「そらもう大変やったで!浩二を背中におんぶして、
光子(姉)の手を引いて遊ばせ、子守もしなきゃあかんし、
勉強も!家事もせんとあかんし、ほんと大変やった」そんな苦労話を聞いた事が有ります。
でもその頃は、重圧だとか、苦しいとか、嫌だ!とか考えている暇がないくらい必死だったそうです。
そして姉は中学を出てすぐに働き、兄弟の面倒を見ながら夜学に行って、
学校を首席で卒業したという話を聞いた事が有ります。
その姉が行っていた高校を今度は僕が受験し、
姉の七光りで学校に入れました…?(いやいや実力です。^^;)
こんな思い出話をすると姉は直ぐに涙ぐんでしまいます。
それに僕がデキシーキングスと言う名門に入り、薗田憲一さんのお世話になると、
「ほんとに立派なバンドに入ってくれて、ちゃーちゃん(兄貴の事)ほんまに良かったなぁ」
とまた泣きます。^^;
また、薗田憲一さんが亡くなって、麻布にある《アメリカンクラブ》でお別れ会をやった時も
『浩二が300人位のお客様相手に司会そして構成もやり、
素晴らしいミュージシャンの方達を引っ張て、会を盛り上げ……
『浩二は立派になったなぁ…』とホテルへ帰ってから二人で泣いたそうです。^^;
兎に角、よく泣く姉ちゃんです。(;_;)/~~~
3年ほど前に姉の喜寿祝をやった時も
『浩二(僕の本名)がこんなに立派になってくれて……
それに兄弟みんな元気やし…。ほんま姉ちゃん…頑張ってきて良かった…(;O;)』
と涙ぐみながら話し…こっちもつられて泣く時も(;_;)/~~~

「この子だけは私が面倒みる」と言ってくれた今年傘寿の姉が
(故)露の五郎兵衛さんと結婚してすぐに僕を引き取ってくれました。
僕自身溶け込みやすい子でしたし、何よりも露の五郎兵衛さん(当時、桂春坊)は、
僕が小学生の頃から僕の住んでる長屋に来て、
姉の知り合いの方達で作った「さきがけ会」で踊りを教えに来ていました。
教室が終わっても、姉と朝まで隣の部屋で愛を語らっていたそうです…??
その兄貴が、僕が小学生の頃に初めてすき焼き屋さんへ連れてってくれた人でした^^;
子供時代(1960年代)でお肉を満腹に食べられるというのは奇跡です!
その頃、子供に頃にすき焼きって言うと取り合いをして食べた事しか記憶にありません−−;
『これ僕の肉やから、取らんといてよ!』と野菜の下に隠して、
一番最後に食べようと残したものを…さぁ食べようと思ったら…ない!><;
『誰や!僕の肉を取ったんは!…返せー!』−−;と良く兄貴と喧嘩したもんです。
その肉を思う存分食べさせてくれたのが義兄、桂春坊(後の露の五郎兵衛)さんでした。
今でもその時の事は忘れておりません。美味しかったのなんのって!!!!
もしかしたら、あのすき焼きで僕をつったのかも^^;
そんなわけで^^;引き取られてもすぐに溶け込むことが出来ましたし、それに可愛くて素直でした。
自分で言うのもなんですが、いい子だったんですよ!\(^O^)/
義兄が言うには「転がり込んで来よったんですわ…あはははは」
ほんとによくしていただき、いっぱい兄貴に可愛がってもらいました。
(故)露の五郎兵衛は立派な大師匠!
僕が小学生時代の兄貴の芸名は桂春坊そして桂小春団治〜露の五郎そして露の五郎兵衛、
全ての芸名の時を見てきましたが、ほんとに素晴らしい兄貴でした。
でも芸人を支える嫁の力も凄かったと思います。
弟子には姐さんになって師匠がいない間に色々な事を教えなければなりません。
僕には母親代わりになり教育も、ご主人にはいい嫁で有り、いい女でないといけないし、
もちろん兄貴も師匠であり、いいご主人であり、僕にとってもいい父親代わりでした。
でもそんな姉でも口うるさく、口もききたくないと言う時が、反抗期の時に在りましたが、ほんの一瞬です。
中学の時には「はよ勉強しいや!勉強や!何遅くまで遊んでんねん!遊ぶ暇が有ったら勉強しい!」
高校時代、酒を台所から盗んで寝酒を飲んでいたら^^;
「誰や台所にあった酒飲んだんわ!…ずいぶん減っとるわ!浩二か!
今から酒覚えてどうすんねん!アル中になるでぇ!そんな暇が有ったら勉強しいや!勉強!勉強!(>_<;)」
父親を知らず、母親の愛情も知らない子供の頃、
お金欲しさに姉の貯金箱を壊して使ったり、母親の財布からお金を盗んだり…
もちろんその制裁は姉からこっぴどい地獄の痛みを味わいました…と記憶していますが^^;
そりゃそうだよね、一生懸命ためたお金を弟の使われたんですから…色々ありました。
楠堂浩己の少年期、今も話した通り転がり込んだ先が噺家の家、まるで未知との遭遇でした。^^;
中学生の頃、当たり前の如く寄席へ出入りし、お茶子さん(芸人さんたちを世話する方)に可愛がられ、
色々な芸人さんにも可愛がられ、子供の頃から間近で芸人さん達を見て
『あの人が唄子啓介さんや!人生幸朗さんや!川上のぼるさんや!米朝さんや!小文枝さんや!
アヒル艦隊だー!吾妻ひな子やー!チャンバラトリオやー!』
お茶子さんが客席に連れてってくれて『師匠が終わるまでここで見とき!』
客席に連れてってくれて空いてる席に座らせて頂きました。
その時の出演者「Wヤング」ギターとサックスの音楽コント、
可笑しくて、可笑しくて、涙を流しながら笑い、腹を抱えて笑い転げ、
笑い転げている僕を見てお客さん達が腹を抱えて笑う!こんなにお笑いって楽しいんだと…
そして兄貴の落語!お馴染みの座った時の前振りのくすぐり!
絶品の『間』でお客さんを掴んでいく!分からないなりに、他の噺家との違いを感じておりました。
特に子供なりに感心したのが今の『笑点』と似たようなコーナー《お笑いとんち袋》
司会が桂米朝さんで、今風の座布団ではなく、机を出し、名札を置き、
回答者が椅子に座って答えてらっしゃいました。
《何々とかけてなんと説く》その他色々…
その頃の兄貴は一番最初に早く手を上げ、綺麗に答え、頭の回転の良さに客席も騒然!僕もびっくり!
子供ながらに凄いなぁ〜と感動したものでした。
芸人さんも義兄の家によく遊びに来ました。
中学時代、勉強不足だからと^^;噺家さんを家庭教師にしてくれたり^^;
兄貴のカバン持ちをしたり、怪談落語のお手伝いをしたり、色々楽しい思いをさせて頂きました。
子供の頃、貧乏な環境で育って、両親も無くし、新聞配達していた子供…
お涙頂戴の話のはずが、こんな楽しい環境で少年時代を過ごせて、暗くなるわけがない!(^O^)/
それから僕の姉はその頃から料理が上手でした。
兄貴はもちろん、僕や弟子、遊びに来た芸人さんもいつも楽しみにしている姉の料理!
何を作っても心に残る、美味しさが舌に残る絶品料理をいっぱい作ってくれました。
中でもクリームコロッケ、卵焼き、すいとん、かめちゃぶ(大阪ならではの丼物)、
ラーメン、お好み焼き、卵サラダ、ポテサラ、しめ鯖、ぬか漬け、正月に作るおせち料理も!
それに何と言っても御飯も窯の中に釜を入れてご飯を炊く
(へっついではなく、僕も姉の家でしか見た事は有りません)
これがまたふっくらして、米が立ち、米が輝いているんです。
美味しいのなんのって、絶品の美味です。何杯でも食べられる。美味いのなんのって。
それに味噌汁、これがまた絶品!
高校時代は給食が無いので、姉が何時も弁当をこしらえてくれます。
御飯はドカベン、おかず入れもドカベンサイズ。
たまに作ってくれるサンドイッチの時はパン一斤をサンドイッチ用に切り、
でっかいサラダボールにキャベツ、ゆで卵、ハムをマヨネーズで和え、野菜サラダと言う奴です^^;
そのサラダを挟むのですが、目もくらむような量(/ω\)^^;
その量凄まじく、電話帳を四段くらい重ねたような厚さ!
学校の机の中にサンドイッチがひしめき合っておりました。
3時間、3時間の授業時間…1時間目と2時間目の休憩時間に弁当を喰い終わる。
サンドイッチの時も同じです。昼休みは食堂へ行ってかけそば!^^;
生徒たちが怒涛の如く押し寄せる食堂!
『おばちゃーん!おばちゃーん!かけそばや!かけそば!大盛りやー!死ぬ―!はよくれー!><;』
今考えるとどうやってサンドイッチを満員の電車の中を持って行ったんでしょうね…
甲子園から阪神電車。そして阪急電車に乗り換えて30分!う〜んよく潰れなかったなぁと思います。
兎に角、作る料理、作る料理、全てがパーフェクト!
兄貴もいつも「美味しい、美味しい」って食べていましたね。
『浩二のその美味しいっていう顔を見たいから、頑張って作るねん!』
兄貴も『せやせや!その顔見ると何処へでも連れていきとなんねん!』
そんな二人の会話が思い出されます。
高校を卒業して東京に住むようになっても、姉の料理が恋しくなり、度々帰ることもあるほど^^;
そんな時はいつも料理のリクエストをしてから帰ります。
『よっしゃ!任しとき!腕によりを掛けて作ったるわ!早よ帰っといで!』
帰りはおにぎりと卵焼きを何時も作ってくれます。

今は娘と住んでいるので泊りに行く事は出来ませんが、お祝いがあると帰るようにしております。
今回も兄弟揃って傘寿のお祝いをする予定ですが、久し振りに兄弟勢ぞろいします。
下の姉が77歳の喜寿、長男が70歳の古希、三女が68歳、次男僕です、66歳。
みんなジジババになって健康を称えあいます。^^;

姉ちゃん、傘寿本当におめでとうございます。
会うのを楽しみにしております。
姉ちゃん、まだ米寿が待っておりますよ。
米の美味しさが分かるようになる88歳!
《傘寿、なんのまだまだこれからよ…コメの味がわかるまで!》
それでは皆様、今月も応援よろしくお願いいたします。\(^O^)/

最近はまっている艶笑小噺
《屁》
えー、誰だってうっかりすることはあるもんで、下女が主人の前で「プゥー」と落す。
けしからん!あと後の見せしめに叱ってやろうと、
下女の尻をまくって、パチン!…と打とうとしますが、
これがつきたて餅のお供えのように美しい…ついついむらむらっとして…頂いてしまう。
さて、その翌日でございます。
下女が小さな声で、『旦那様』
「何だ?」
『あの…ただいま、おならをいたしました。』

《あと一合》
なにが困るたって、酒癖の悪い亭主ほど、手に負えないものはございません。
「おーい!おタネ!もう一本つけろ!」
『もうないよ…お酒が…』
「ない?なけりゃ買ってこい!」
『買うお金が無いのよ』
「なけりゃ、何でも売っ払えばいいじゃねぇか!
そのくれぇの才覚をするのが、女房だい!行って来い!チキショウめ!……」
言い出したら聞かないのを知ってますから、
おかみさん黙って出て行きましたが、間もなく一升もって帰ってまいりました。
『ハイ、買ってきましたよ。』
「見ろ、買えたじゃねぇか、ざまぁみやがれ!」
『でもねぇ、おまえさん、この一升飲んじまったら、一生懸命稼いでおくれよ。
もう何にも売るものがないんだから…』
「売るものがねぇって……じゃ、この一升は、何売って買って来たんだ」
『おまえさん…これだよ…』とアネさんかぶりをとりますと、下から現れたのが、坊主頭……。
「あっ、おめぇ、そ、それじゃァ…」
『あア、売るもんが無かったからね、髪の毛売って、一升買って来たのさ、
だからお前さん、明日っから頼むよ、ほんとうに…。』
「ウーン…おタネ、俺が悪かった。かんべんしてくれ…。」
と、さすがの亭主も涙を流して詫びをします。
これからすっかり二人和やかになって、仲良く一つ布団にくるまると、
ご亭主、おかみさんの前へスーッと手を伸ばし、
「お、お、おタネ!」
『なぁんだい、おまいさん…』
「ここに、あと一合、残ってる」

2017年8月1日(金)

 

 

 

 

第163回

さて、8月です。\(^O^)/…またまた長編です!お覚悟を!
お待ちかね、楽しいメッセージの時間がやってまいりました!
誰も待ってない^^;……。


このホームページ14年と6ヶ月ともなると…長いですね…
ついついネタを探したり、考えたりしていると、
BBSをチェックするのは月、数回程度(−_−;)
ついつい疎遠になっている事を反省する今日この頃でございます。^^;
月に2,3度しか足を運ばなくなりましたこのBBS、
長年やってますと別に書き込みもないんですが、
やっぱり、しょっ中顔を出してにぎやかにしたいと思う今日この頃。
枯れ木も山の賑わい、チリも積もれば山となる。^^;
今はインスタ、フェイスブック、ツイッターの時代、この楠堂浩己、どれ一つやっておりません^^;
いまだにガラ携で頑張っております…
「えっ?なに?がらけい?古いねぇ〜?もう爺ちゃん婆ちゃんもみんなスマホだよ!生きた化石だね。」
そんなことは言われませんが、まぁいいではないか!人の情報なんて知りたくもないし、大事な情報は
自然と入ってくる。それでいいではないかと思います。
頑固ではありません!意固地になっているだけです。(;'∀')


自分のメッセージ欄を14年以上毎月、毎月、昔の記憶を辿りつつ知恵を振り絞って、
頑張って書いている自分が凄い!自分で自分を褒めたいです。^^;
話しがだぶる時も多々ありますけど…(/ω\)


さて、僕が入ったこのジャズの世界、19歳でプロ入りして約47年、何とか頑張っておりますが、
現在所属している「薗田憲一とデキシーキングス」この8月で42年目に入りました。(^0^)/
年に一度必ず書きますが^^;1975年 昭和50年 8月1日に薗田憲一とデキシーキングスに入団!
バブル華やかなりし頃、何も知らない、何も出来ない僕を使ってくださった、
(故)薗田憲一さんには、未だに感謝をしております。

キングスに入りすべての事に一生懸命頑張っていた僕、
気が付くと5年、10年、15年、20年、25年、30年と、
あっという間に時がたって、気が付いたら園田さんが病気になり、
32年目に薗田憲一さんはお亡くなりになりました。
少しはご恩返しが出来ていたと思いたいですが、
今にして思えば、迷惑もおかけしていたなと反省もあります。
もう少し長生きしていただけたら、僕がもっとしっかりして後継者も楽だったと思いますが…。
現在42年目…後継者が後を継いで頑張っておりますが、
今は大変な時代!不景気が続いております。
家で鳴るチャイムのピンポーン、ピンポーンと言う音が、

ビンボー(貧乏)ビンボウ―(貧乏)に聞こえてきます。(−_−;)
『浩ちゃん、今ジャズは上向きだよ!テレビでもよくジャズが流れてるし、景気が戻ってくるよ!』
って言われ早10年以上!…−−;、一向に我々ミュージシャンの景気は良くなりません!^^;
もちろん一般の社会もですが…。

僕がキングスに入った時はまさにバブル絶頂期!
ギャラは毎月毎月上げてくれるし、
ボーナスとまでは行きませんが、トーナス?^^;ぐらいの報奨金を頂いた事も有ったし…。(^^♪
景気がいい時代は、テレビはNHKから民放ほとんど各局の出演依頼!
テレビもジャズ番組があったほど。
特にNHKの子供番組が多く、おかあさんと一緒、ワンツードン、
NHKの歌謡ショー、田原俊彦さんの歌のバックやタモリさんのトランペットのバックバンド…。
民放では崑ちゃんトンカチのど自慢、西城秀樹さんと朝の番組で共演したり、
クイズ番組のレギュラーも有りました。
その合間に全国を飛び回ってのライブ、ジャズコンサート、スーパーのオープンイベントの仕事、
(当時はイトウヨーカドー、長崎屋、ダイエー他多数、どのイベントか忘れましたが、
その頃まだ売れてないみのもんたさんと一緒に仕事をした事が有りました。(相当前ですね。^^;)
その時にみのさんが『まだ月日は分からないけれど、プロ野球ニュースの解説をするんだよ!』
みんな聞いてびっくり!その当時大人気のスポーツニュースでした。
それからしばらくしたらプロ野球ニュースに出られるようになられて、
それから飛ぶ鳥を落とす勢いで人気が出て、もうお会いする事がありませんでしたが^^;
あっという間に人気解説者になられました…ヽ(^。^)ノ
あとはデパートオープンイベント(大丸、三越、高島屋他)
会社のイベント(創立何周年、クリスマスパーティ、その他色々)
青年会議所、ライオンズクラブ、ロータリークラブ、住宅展示場でも、商店街のパレード行進!
夏祭り(山車に乗ったり、櫓の上で演奏したり)
それから当時はファンクラブが全国に在りましたから、
北は北海道から南は九州鹿児島までツアーを組んでもらって北から南へ!\(^0^)/
ゴルフ場のパーティーも有りました。
太平洋マスターズ(御殿場カントリークラブ)最終日の表彰式のファンファーレと打ち上げパーティー。
女子プロ選手権も行きました。
ゴルフに何も興味のない頃、そうですね…1980年代だと思いますが、青木功、尾崎将司、中嶋常幸、
女子プロは場所は思い出せませんが樋口久子、岡本綾子、ト,阿玉(アギョク)、大迫たつ子。
興味がある今だったら大変です(^0^)/多分サイン、サイン、サインで大騒ぎだったと思いますが…。
当時はゴルフボールを追っかけて、ただ穴に入れるだけのスポーツ…どこがそんなに面白いの?^^;
今は暇と時間とお金と体力許せばゴルフはやりたいスポーツの第一位です。第二位が草野球!
その頃の男性プロゴルファーは日焼けも格好良く普通でしたが…
女性の方は色が真っ黒に日焼けして肌も悪く、あばたの方も多く(その当時はあまり気にしなかったのでしょうね)
女子の優勝パーティー会場では…

抜群のスタイル、洗練されたファッション、こぼれるような美貌…そんな方は一人もいらっしゃいませんでした。^^;…m(_ _)m
私は決して悪口を言っている訳では有りません!…批判しているだけです。(同じ事やろ!><;)
今の女子プロの選手は洗練されたファッション、抜群のスタイル、こぼれるような美貌の方達ばかり(#^.^#)
毎回、優勝者はグリーン上で表彰されます。
その時ファンファーレと終わった後の祝賀会のBGM、そして送り出しの演奏を男女ともによくやってました。
変わった仕事と言えば富士山で…う〜ん?なんていうんだろう^^;
ジープで泥の凸凹道を走る泥んこレース^^;(ロードレース)終わってからのパーティーでの演奏。
行くのが大変!会場まで4WDの大型レッカー車で楽器車を引き上げてもらうのですが、
泥道ですから真っ直ぐには走らない^^;横揺れしながら、あっちへ行ったりこっちへ行ったり…
我々車の中のメンバーは大騒ぎ!生きた心地がしませんでした−−;
(傾斜角度:45度…これはありませんが(−_−;)30度くらいですかね)
ようやく会場にたどり着き、ロードレースが終わった後のライブコンサート!
終わった後、牛の丸ごと一頭の丸焼きバーベキュウ をいただきました。\(^0^)/

他にもいっぱい色々な仕事をやりましたが、
心に残っているコンサートは《All Jpan Jazz AID In武道館》
何十年前か忘れましたし、NETで調べてみても載っておりませんでした。(; ・`д・´)
演奏はたった2曲でしたが、日野皓正(Tp)さんが入って、
オリジナル曲《papa文雄》(南里ふみを三を忍んで作った歌)
我々の演奏で《Tiger Rag》何時も通りの迫力ある演奏!
日野さんの作曲した、南里文雄さんに捧げる歌《Papa文雄》が素晴らしく良くて、
当日に人気投票で第1位に選ばれ、第2位にデキシーキングスの《Tiger Rag》
そして3位にジョージ川口さん、北村英二さん…と御大達を抜き上位に選ばれました。凄いでしょ!
自慢している訳では有りません!アピールしているだけです。('◇')ゞ
後はまぁ、キングスでの変わったお仕事(奉仕)としては、
葬儀…いったいどれほどの人を見送ったか(;∀;)
ファンの方からミュージシャン、噺家…『俺が亡くなったらこの曲で野辺の送りをしてくれ!』
水島早苗さん、ディック峰さん、立川談志さん、立川文都さん、
デキシーキングスファンクラブ会長の杉山四朗先生、
後はファンの方々…でも家族の顔を見るのが一番辛かったですね。(ノД`)・゜・。(;_;)/~~~
そうそう変わった仕事と言えば秋田県のパチンコ店の店頭でのオープニング!
雪がまだ残っていて寒いのなんのって、直ぐに手がかじかんで^^;
店頭での演奏の後、店内を軍艦マーチで練り歩き^^;
その社長がドラムとトランペットが大好きな方、リクエストもドラムソロが多いものばかり
『おい!楠堂先生よ!ドラムで盛り上げてくれよ!』
ステージコーナーもしっかりあって秋田で汗をかいて仕事をしておりました。
他にもまだまだいっぱい有りましすが、長くなるので、こんなもんにしといたろかヽ(^。^)ノ
これがバブリーな頃の仕事、そうそうディズニーランド(昭和59年〜平成元年まで)
も忘れてはいけません。\(^0^)/

 

《箸休め…。》^^;
艶笑小話(座頭)
『えー、座頭て言うのはお目の悪い方でございますが、
本来は頭をそった盲人で、琵琶だの三味線などを弾いて歌を歌ったり、語り物を語ったり、
また按摩や鍼などを生業にした人を申すのだそうです。
どう言う訳だか座頭と言うのは持ち物の立派な人が多かったようで、
かみさんなんかも「オヤッ」と言う美人がいたものだそうです。
コブ市(座頭)の女房も近所では評判の器量よしで、コブ市もそれを自慢にしておりましたが、
いつの間にかかみさんにいい男が出来て駆け落ちされてしまいました。
コブ市は悔しがって浅草の観音様に日参して
『どうぞこの目を開けさせてください!あたしゃ目が見えないばっかりにかかぁを人に取られる!
こんな悔しい事ってありますか!どうぞ、この目が見えるようにしておくんなさいませ。』と拝みます。
観音様、気の毒に思ったのか三七、21日の満願の日に両眼を開けてやった。
やれ嬉しやとコブ市は、ぜひこの上は姦婦姦夫の乳繰り合ってる現場を見つけ、
重ねておいて四つにしてやろうと思いましたが、目が見えることが他人に知れたんでは商売に差し支えます。
わざと見えない振りをして、今日は東明日は西と杖と笛と目を頼りにあちこちを流して歩きます。
一方、かみさんと間男の二人、そんなこたぁ知らないから向こうから歩いてくる。
「あっ!おまえさん、コブ市だよ!」「いけねぇ、かくれろ!」てんで横町へスーッと隠れます。
こいつをコブ市横目で見て…『う〜ん、今の女ァ…いい女だ!』・・・(^^;。

 

《さて、ここから先は僕の趣味なので疲れた方はお休みください。^^;》

先月25日が土用の丑の日、買って来て家で食しました。
美味しかったです。外で食べると最低2800円、上を頼むと5000円。
スーパーで買ったら900円、それに美味い!でもなにか何か一つ足りません…
それはやっぱり「肝吸い」です。…スーパーのウナギには肝吸いが付いておりません。^^;
「肝吸い」でいつも思い出す映画があります。
中井貴一とフランキー堺の素晴らしい映画、これを皆さんにご紹介いたします。趣味なので……^^;

昭和62年春ぐらいかな?大阪で商店街のイベントで三日間興行があり、
商店街の中のステージで毎日3回程度演奏しておりました。
ホテルは直ぐ近くで、出来たばかりのホテル、テレビも試験放送しかしておりませんでした。
毎日毎日時代劇の試験放送で、面白いのですが少し見てはステージに行く、
少し見てはステージと…初めから最後まで見ることが出来ませんでした。
キングスのメンバーが、寄ってはテレビ時代劇の話ばかり
「一回でいいから最初から最後まで見たいな〜あの後どうなるんだろう…
気になって気になって…最終日…ステージが一回カットになり、ようやく全編見ることが出来ました。
面白いのなんのって…パロディ映画なんですがサイレント映画とトーキーを組み合わせ、
昔のチャップリン映画みたいに画面が消えて字幕になったり、
今風の綺麗なカラー映画であったり、白黒になったり、
何とも人の心をひきつけ、見る者をくぎ付けにいたしました。
題名は『国士無双』キャストは中井貴一、原田美枝子、原日出子、岡本信人、日野正平、セント、ルイス、
笠智衆、江波杏子、中村嘉葎雄(かつお)、フランキー堺!歌:ダイナワシントン。

(あらすじ)
《武士道華やか過ぎしころ」の話である。
瀬高(岡本信人)と小鹿(火野正平)の2人の浪人が、さもしいプランを考えた。
「将軍家御指南番」つまりは当代随一の剣豪である「伊勢伊勢守」に仕える者を名乗れば豪遊ができる
ということで、人選の挙げ句、とぼけた感じの若者(中井貴一)を、

贋の「伊勢伊勢守」に仕立て上げることにした。
「伊勢伊勢守」の威光を借りて飲めや歌えの大騒ぎ、しかし「贋」が財布を拾い、この件で大げんかとなる。
浪人たちは怒り、「伊勢伊勢守」を名乗る贋者が存在することを、本物の伊勢伊勢守(フランキー堺)に密告する。
「贋」は、偶然出会った居合抜きの達人・羽黒月仙(中村嘉葎雄)とともに道場破りに行くが、
「贋」が道場で「伊勢伊勢守」だと名乗ると、羽黒も道場の男も逃げ出して、カネを差し出す始末である。
なんだかわからないまま「贋」は道場に行っては「伊勢伊勢守」だと名乗り、カネを得ることを繰り返す。
そんなあるとき、「贋」は、暴漢に襲われた見ず知らずの娘・八重(原田美枝子)を救出する。
「贋」は、八重の父に会い、名を問われ「伊勢伊勢守」だと名乗る。
ところが八重の父こそが本物の伊勢伊勢守であった。
伊勢守は「贋」に対決を挑むが、「贋」は強く、

当代随一の剣豪のはずの本物の伊勢伊勢守は、これに敗北する。
「本物が贋者に負けたためしは古今東西、歴史にない」
と、本物の伊勢伊勢守は、自らの威信を賭けて、山奥に籠り、仙人(笠智衆)のもとで修行を開始した。
「贋」は身投げをしようとする見ず知らずの娘・お初(原日出子)を助け、
五十両のカネが必要なお初のために、「贋」は八重にこれを借りる。
「贋」は八重とお初に思いを寄せられるが、お初に別れを告げる。
修行から戻り、強くなったはずの本物の伊勢伊勢守は、「贋」に再度対決を挑み、しかしながら敗北する。
「贋」が勝ったときの約束の通り、本物の伊勢伊勢守の娘・八重を連れて「贋」は去っていく。》

楠堂「これだけの話なのですが、本物フランキー堺と贋中井貴一が対決するとき、
中井貴一がなんとも珍妙な立ち回りで、それがおかしくて楽しく、
フランキー堺さんが真面目に戦いを挑むんですが、追いかけても、追いかけても贋は捕まらない。
疲れ果てて休んでいると、何処からかウナギの匂い。
フランキーさんが『今日の晩御飯は…うなぎか…肝吸いついてるかな…いかん!待てー!』と言うシーン。
全編面白いのですが、このシーンを見ているとウナギの匂いがしてくるんです。
ただこれだけです。土用の丑に限らず、ウナギを食べる時はこのシーンが懐かしく思い出されます。
VHSは有るんだけどTUTAYAにDVD…有るかなぁ…
なおこの映画は昭和7年、片岡千恵蔵、山田五十鈴の主演でサイレント映画で封切りされています。
テレビでも昭和33年放映。映画リバイバルは37年、東千代乃介、山形勲でも…
そして僕が見た「国士無双」は昭和62年リバイバルのものでした(参考までに)m(_ _;)m

 

長々と有難うございました。
今月も応援よろしくお願いいたします。\(^0^)/

2017年7月1日(土)

 

 

 

 

第162回

皆様!7月です!\(^0^)/

誕生日月間も終わり、今月から気を引き締めて参りとう存じます。^^;
頂いた誕生日プレゼントもトラック一杯???(;'∀')
催促した誕生日プレゼント!^^;サプライズのプレゼント(^0^)/

思いもかけないキッスの嵐???(それはないやろ!)有難うございました。
思い返せば…お客様にこんな事をして頂けるようになったのは…
そして催促をしてプレゼントを頂けるようになったのはここ近年でございます。
下積み生活も結構長く、キャバレー生活5年!
バンド用語で「サドリーマ」('◇')ゞ…。早い話がどさ回りです。

そしてサドリーマからデキシーキングスに拾われ、そこでも下積み17年。(今年8月で42年目に突入!)
当時のメンバーがまた物凄く、大先輩で強者ぞろい!下積みは当たり前の事。
(故)薗田憲一!(故)薗田祐司!(故)吉野五郎!
花岡詠二…この方はまだ健在!^^;杉村彰…この方もまだ健在です。^^;
そして最も鍛えられたのが、その当時デキシーキングスとお付き合いの有った(故)立川談志師匠でした。

キングスの皆さんお若いしそれなりに威圧感もありましたが、談志師匠の場合は芸人!
歯に衣を着せず、思った事を言う方!最も心に響く説教!
『へたくそ!』『もっと勉強しろ!』『キングスを出て3年ほど武者修行をして来い!…』
『我々は三流だ!分かるか?一流はフレッドアスティアとかフランクシナトラ、
ジーンケリー、サミーデイヴィスJr.だ!
我々は三流!でも三流の中で一流になれ!』
『ステージに上がって何を表現するかだ!…いや…何を表現したいかだ!楠堂!俺の言ってることが分かるか!』
『ドラム叩く時は見えを切れ!いいか!芸人は前を向かなくなったら終わりだ!』
これだけ言ってくれる方は他にはありませんから言われる度に勉強です。
逆に嬉しかったです。
取り巻きの方達に言うと、『師匠は弟子にもそんなことを言ったことはないよ…
浩ちゃんて特別なんだと思うよ』と励ましてくれる。^^;
何も言わなくなった時は『駄目だ!こいつは!見込みなし!』…かも^^;
でももう上に行っちゃったんで…^^;
まだまだ談志説教語録は一杯有り、心に刻んで大切にしまってあります。
もっと聞きたい?もういい!…(-_-;)
談志師匠がほんとうに認めてくれたのは、キングス在籍32年目でした。
僕のコンサート《ザ.ビギニング》が終わって、違う日にお会いした事が有ったのですが、
もちろんその前にお葉書も頂いたのですが…
その時の言葉は今でも忘れません。
『この野郎!…隠してやがったな…あんなに叩けるんじゃねぇか』肘で僕の肩を突っつきながら
『お見事!おい!キングスを頼むぞ!』でした。

談志師匠の思い出話になりましたが…
キングスの中で鍛えに鍛えぬかれ17年…ようやく「デキシーキングスに楠堂あり!」…
と呼ばれるようになりました。(誰も言ってないよ!^^;)
有る時リーダーが『キングスで今一番高給取りになったのは浩ちゃんだよ!これから頼むね!』
天にも昇る気持ちと責任感が入交り、初めて下積み修行にピリオドを打ち、
後輩たちの育成にも励むようになりました。

 

話は最初に戻りますが、誕生日には一杯のプレゼント?バレンタインデーも一つか二つ('◇';)ゞ
でも最近よく言うんですが、昔は可愛かったんですよ!髪もふさふさ有ったし…^^;
食べたいくらいに可愛かったし…家に飾っておきたいって言われるし…そんな時代が有ったんですよ!
と言っても誰も信じない(*´Д`)(言わしとけ言わしとけ!^^;)
考えてみりゃ音楽歴はもう47年目…長くやってりゃいいというもんでもありませんが…
年齢も47歳(何時からドラムやっとんじゃ…正直に白状せい!(-_-)/~~~ピシー!ピシー!)m(_ _ ;)m

 

さて、7月12日で(故)薗田憲一没11年になりました。
思い出と言う思い出は、ほとんどこのメッセージ欄に書きつくしておりますが、
今の季節になりまして、更に少し思い出した事が有りましたので書き留めておきたいと思います。

…なに女…う〜ん…とんでもない!(; ・`д・´)
清廉潔白!を絵に描いて写真ではっつけたような方(どんな方?^^;)
この季節と言えば皆様があまり食さないかもしれませんが、僕が大好きな食べ物《海鞘:ホヤ》です。
この海鞘なる食べ物を教えてくださったのが薗田憲一さんでした。
今を去る事、34,5年ほど前…(^。^)y-.。o○
『浩ちゃん、ホヤ食べる?』と言われたのが薗田宅でございました。
薗田さんが『俺は食べれないんだけど…食べる?』
「食べた事はないんですが頂きます。」と言った元気な青年!楠堂浩己でした。
奥様の実家(宮城県)から送られてきたもので、出された時は少しにおいが………
酢をかけて食べたのですが…う〜ん…美味!美味!美味!
素晴らしく美味しくって、今まで生きてきた中で一番感動しました!(何処かで聞いた言葉だな…)
あまり食した事のない食感と味とにおい!
でも…グンバツ(抜群)でございました。…バラスシ!(素晴らしい!)
思わず『お代わり有りますか?』と催促をさせて頂いたほどでございます。二番を煎じよ!^^;
薗田さんもびっくり!『そんなに美味いの?(@@;…え〜…嘘〜…俺食えないんだよね…
いっぱい食べて…そんなに美味しい?おかしいなぁ…』と首をひねってばかり
『そんなに浩ちゃんが美味しいと言うなら、もう一度食べてみようかな…
うん!(*´Д`)駄目だこりゃ!うひゃー!…臭いが…
でも練習して食べられるようにならないと勿体ないからこれから練習するわ!』
そう言っていた薗田憲一さん、見事に練習をして食べられるようになりました。
そして好物になったそうです。
今ぐらいの季節になると、二人でよくホヤの話に花を咲かせておりました。
今でも僕はホヤを丸ごと買ってきて料理に励みます。^^;
あのグロい奴を見ると誰でも嫌いになると思いますが、これを読んでいるあ、な、た、ホヤは好きですか?
人間て凄いですね…ホヤは食べるし、生ガキも食べるし、ナマコもカタツムリも…
一番最初に食べた方は凄い勇気がいっただろうにとおもいます。ヽ(^。^)ノ

 

ホヤと言えば、ちょっと面白い話を思い出しました。
薗田憲一さんのお兄さん、(故)薗田祐司さんの奥様のお話。
お兄さんが「今日はホヤを食いたいなぁ」
『じゃぁ買って料理しておきます。』
その夜、お兄さんが楽しみにして帰ってみると…
『あなた…ホヤって中々煮えないわね…ずうっと煮てるんだけど…』
「煮てるって?何を煮てるの?」見てみると外側の皮を煮ている!^^;
「オイ!中の身はどうした?」
『中のワタは捨てたわよ!』
「ワタじゃないよ…中を喰うんだよ…外の皮は食えないんだよ(*´Д`)…駄目だこりゃ」
話を聞いた時は大笑いしました(≧▽≦)
ついでにもう一つ^^;
「オイ!今日はなめこの味噌汁を作っておいて(^0^)/」『はーい』

…夜帰って、楽しみにテーブルにつくと妙な具の入ったのが出て来た。
「おーい…これ何?」
『あなたがナマコの味噌汁が飲みたいっていうから作っといたわよ(^0^)/』
「俺が言ったのはナマコじゃなくてなめこの味噌汁…(*´Д`)…駄目だこりゃ…。」
でも食べたらしいです^^;無理して食べたみたいです。愛ですね!\(^0^)/

 

さて、話しは(故)薗田憲一さんに戻ります。
凄いですね…練習すると嫌いなものまで好きになっちゃうという努力家!同じような話がもう一つ!
薗田さんは今でいう横浜DeNAが大好きで、
前身の大洋ホエールズ、横浜ベイスターズの時はよく二人で応援に行きました。
もちろん僕の場合お付き合いでしたが^^;今は有りませんが川崎球場、そして横浜スタジアムへ!
巨人軍とやる時はライトスタンド、レフトスタンドに別れて応援!
そして終わったら待ち合わせをして、どちらかの残念会で飲みに行く!ヽ(^。^)ノ
その内、横浜ベイスターズだけでは物足りず^^;パ・リーグにも好きなチームを作ろう!
(二倍楽しめるという考え^^;)
その時代一番魅力のあったチーム、西武ライオンズを応援する事にしたそうです。
一生懸命テレビを見て、応援して、スポーツ新聞を読んで、そして西武球場にも足を運び、
見事!西武ファンになりました。凄いですね(^0^)/
あんまりよく覚えておりませんが、伊藤監督時代だったと思います。
松坂大輔や松井稼頭央なんかがいたと記憶しております。
そして晩年覚えたゴルフにいそしみ、横浜ベイスターズと西武ライオンズの応援で晩年を過ごされました。
何でも努力と言うものが必要なんですね。('◇')ゞ
ホヤを喰う努力!西武ライオンズを好きになる努力…
私も女性を好きになる努力をしたいと思います。m(_ _ )m
(もう、好きを通り越しとるやんけ!><;
それでは今月も応援よろしくお願いいたします。m(_ _ )m

 

《おまけシリーズ:艶笑小話》
艶笑落語の歴史
☆落語の発祥と同じ時代、安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)を始祖とし、
京都の初代露の五郎兵衛(1643〜1703)《僕の兄貴が二代目露の五郎兵衛(^0^)/》
が街頭に出てやったのが始まりと言われております。
僕の兄貴の艶笑落語も際どいけど大変面白い。CDも買って持っています。本も兄貴から頂きました。
僕が初めて兄貴の艶笑落語を聞いたのは中学生!^^;(ませてました)
その頃すでに、男と女の関係は薄々わかってました。
($・・)/~~~(なにが分かってたんじゃ…詳しく述べよ!)
兄貴の艶笑落語は想像していたよりも際どくて^^;中学生の僕にはあまりにも強烈!
あまりの恥ずかしさに、下を向いて真っ赤になりながらしっかり聞いておりました。(^_‐)-☆
小さい時から耳年増!捨て目、捨て耳だけは発達しておりました。
上で書きました(始祖)安楽庵策伝作(1623)の作を見つけましたのでどうぞ!


《亭主の留守に、かみさん目当てに来る男がいる。
かみさんは「梯子を掛けておくから屋根から忍んで来ておくれ。
もし亭主がいる時は、あたしが”猫かしら”と言うから、お前はすかさず猫の鳴きまねをすればいい」
と打ち合わせておく。
男が有る夜忍んで行くと、家の中で亭主が「屋根を歩くは人のようだぜ!」という。
女房が「いえ、大きな猫ですよ」という。
男はうっかり小さな声で「猫ゥ!」》

 

《紅痣》
留さん「《痣のつくほどつねっておくれ、それをのろけの種にする》ってぇ都々逸が有るけど俺のは違うぜ!」
熊さん「どう違うんでぇ?」
留「《つねりゃ紫、食いつきゃ紅よ、色で仕上げたこの体…》こんな都々逸だぁ!」
熊「何を言ってやがる!それがどうしたんでぃ!」
留「ちょいとこれをみてくんねぇ…」
てんで腕まくりすると、二の腕に赤い大きな歯型が付いて腫れあがっている
熊「どうしたんだ、これは?」
留「聞くだけ野暮だぜ…俺にホの字の花魁がいると思いねぇ。
《どれだけ待たせりゃ気がすむのよ!この浮気者!》って昨夜のあまっ妓(こ)に、
涙ながらに食らいつかれたのがこの紅痣よ!」
熊「そいつぁおやすくねぇな…それにしちゃ大層大きいな…」
留「…うん大口開けて腹抱え、大笑いながら…ガブッ!」
熊「……−−;」

 

《反故(ほうぐ)染め》
え〜芸者てぇ御商売は着物に金を掛けます。
小梅姉さんの予て注文のお召し物が届きます。
芸者屋のおかみさん「小梅ちゃん、まぁ立派な長襦袢じゃないの!」
小梅「ええ、反故染めで、百人一首を散らしてみたんです。」
お「そりゃご趣向ね。ちょいと着て、見せてごらん。」
小「ええ、いいわ……どうかしら…」
お「そう、ちゃんと着て…こっちを向いて…。
まぁお乳の所に《恋ぞつもりて淵となりぬる》とあるなんてにくいわねぇ」
小「まぁ、嬉しい」
お「袖のところは…なになに……《わが衣手は露にぬれつつ》」
小「これもピッタリだわ」
お「ちょいと後ろを向いてごらんなさい。あーら、肩のあたりが《三笠の山にいでし月かも》
…なんだか、あなたの肩が三笠山みたいよ」
小「嬉しいわ」
お「お尻のところにも書いて有るわ。えーっと《けふここのへににほいぬるかな》」
小「まぁ……」
お「ここんとこだけ、どう言う訳だか仮名文字になってるから
《今日、ここの屁に、匂いぬるかな》となるわね」
小「まぁ、きらい!」
お「まぁそう気にしないで、もう一度こっちを向いて頂戴。…前にもいろいろ書いて有るわ。
上前(うわまえ)が《名にしおわば逢坂山(おうさかやま)のさねかずら》……皮肉なもんね」
小「まぁ、いや〜ん…」
お「では下前はどうかしら?」ってんで帯の下をパッとめくると、《人こそ知らね乾く間もなし》

艶笑都々逸
《♪あなたに〜見せよと〜着てきた着物〜それを脱がすも〜またあなた〜♪》
《♪ちょっと〜痛いが〜何度かすれば〜らくに入るよ〜コンタクト〜♪》

お後がよろしいようで…。\(^0^)/

2017年7月1日(土)

 

 

 

 

第161回

2017年6月だー!\(^O^)/梅雨でーす!
−−;ジメ ジメ ジメ ジ〜メ?( ゚Д゚)
僕の誕生日の日も雨だってー!雨男健在!今年も「嵐を呼ぶ男」になるかな?(^^♪

いつもネタを探すのに苦労する一月から十二月…でも今月はネタが有ります。
もう言いたくないし言ったからとて別段変わり映えはしないんですが、
僕の誕生日月でございます。

1951年 昭和26年6月2日午前4時生まれ!
(へその緒をしまってある箱に書いて有りました。)
母親の胎内より安産で生まれたとの事、
ちんちんが立派に付き、○玉も二つ付いて^^;
玉のような可愛いらしい赤ちゃん!?(^O^)/
五人兄弟の一番下!
ほんとうは七人兄弟だったらしいのですが、二人は戦時中に亡くなった事を聞きました。
後の五人は八十歳の姉を筆頭に今もぴんぴん達者で生きております。^^;


若い時、あんなに可愛かったのに…食べたいほど可愛かったのに…今は面影もなく?^^;
若い時、何も言わなくとも、女の子たちが寄って来たのに…。
若い時、『キャー!こうちゃーん!こっち向いて!』と言われていた時代も有ったのに…
若い時、兄貴と飲みに行くと『まぁ!こちら弟さん!まぁ似ても似つかないほどいい男!可愛いわねぇ…』
兄貴がその度に怒ってましたが^^;
今では『まぁ、お兄さんとそっくりねぇ…よく似ていらっしゃるわ…流石兄弟ね…』
(兄貴の悪い意味ではなく…^^;)


最近のライブで、「今お幾つですか?70歳くらいですか?」−−;…やだねぇ…^^;
色々な方が亡くなり昭和の時代がだんだん遠のいていく……年を取るのも当たり前!
電車でもここ2,3年席を譲られることが数回^^;
外人のハイスクールの子供に「プリーズ」と言われて手招きをされた事が有りました。
そんな時は『ノーノ―ノー!アイアムヤングマン!!!!!」
と力こぶを出して見えを張ったり致します。^^;

今月6月2日で66歳!!!!!(^O^)/。
……想像もしてなかった年…
父と母が48歳で亡くなっているので、僕の人生48歳まで!
生きてりゃおまけの人生!一年一年大事に生きて行こうと思っています。(^_-)-☆
結婚した27歳!まさにバブル華やかなれし頃、
嫁に『僕は大体5O代までに死ぬかもしれないから生命保険をほどほどに掛けといてね。」
とお願いしたら途方もない金額を掛けてやがった−−;($・・)/~~~
ところが48歳から18年、何処でどう間違ったか^^;
体にいいものを食し、しっかり健康診断をやり、今日と言う日を迎えました。
やっぱり生きたいんです。^^;何が有っても(; ・`д・´)

野球部の仲の良い友達も病気で亡くなったり事故で亡くなったり、病気がちの奴も増えて来た^^;
僕の大病と言えば1977年の29歳の時。
脂っこいものの食べ過ぎ、酒の飲みすぎで十二指腸潰瘍!(/ω\)
野菜生活に突入!
喉もと過ぎれば熱さ忘れるで…2OO2年(平成14年)に痛風発症!約二年で沈下^^;
色々聞いてみると痛風の痛みなんて目じゃないらしい!胆石の痛み。
尿管結石の痛みは七転八倒らしい^^;
でもまぁ、こればっかりはなった人にしかわからない痛み…何にしてももう懲り懲りです。
今は野菜もいっぱい食べ、水を欠かさず取るように気を付けている次第です。
『俺の人生、なるようにならぁな!タバコ止めたからって死ぬ時は死ぬんだよ!
俺は止めねぇよ!タバコも吸うし、酒も飲む!肉だって食うよ!』
と言っている方がサプリと健康飲料を飲んでいる。?( *´艸`)
兎に角、楠堂浩己はいいお年頃になって来ました。

今は高齢化社会、又ファンの皆様ほとんど人生の先輩ばかり(#^.^#)
「楠堂さん御幾つになったの?」
『66歳です。^^;』
「まぁ、若いわね…羨ましいわ…これからね、脂がのってくるのは…」
もうのり過ぎてると思うんですけど($・・)/~~~

若い時、よく人に言われました
『脂がのって、色気が出て来るのは結婚後10年くらい。44,5歳がピークじゃないかな?』
今では65歳過ぎてかららしい…^^;


と言う訳で誕生日月間でございます。(*^_^*)/

6月です。でもじめじめした梅雨ですね…誕生日に一番合う歌…
「ハッピーバースデー梅雨―!♪」m(_ _ )m
********************
さて、話は変わりますが先月、5月24日の浅草ハブに出演!
2ステージ目の途中、見たような方がカウンター席にお座りになりました。
ドラムを叩きながら…何処かでお会いした事が有るんだけど?…何処かなぁ
…色々悩み…考え……う〜ん…
『あっ!そうだ!
神の手を持つ福島先生だ!』
テレビでしか見た事が無かったんですが^^;テレビで会ってたんですね^^;
僕が尊敬するお医者さんの一人でございます。
以前『神の手を持つスーパードクター!脳神経外科医福島孝徳』
テレビで何度も見た事が有りました。
その時にドラムを叩いていらっしゃったのを覚えておりました。
『これはボケ防止でやっているんですよ』と仰っておられました。
そこで少し親近感がわきました。(#^.^#)
僕にはよくわかりませんが、人間の体の中ってすごい複雑で、
我々が見てもさっぱりわかりません!^^;
まして人の命を救うという超難関手術のお仕事をなさっているスーパードクター福島先生!
テレビで手術のシーンを何回となく見て、
スーパードクター福島先生のファンになってしまいました。
他所の病院で手が付けられない!それ程難しい場所に腫瘍が出来ている…
そんな見放された患者さんの手術をするという。
超難関の手術、手術中
『いやぁー、参ったなぁー…これは難しいなぁ…ちょっと待って
…う〜ん…腫瘍がね…動脈の周りにこびり付いてるよ…これを取らないとなぁ
…いやー難しいー!これ見て!これが神経だよ…これを傷つけると大変な事になるからね…
…よし!ここをこうして……ほら…綺麗に取れましたよ…上手く行った!
…腫瘍がキレイに取れたよ!…ハイ、終わりました。お疲れ様でした。」
手術時間が5,6時間の時も有れば、何十時間と気の遠くなるような時もあると聞きます。
まるでドクターX見たい^^;
そしてその手術が終って、家族に成功のご報告をしてすぐに移動!
『次の患者さんが僕を待ってますからね…御飯の食べる暇もありませんよ。』
何時間もかけて違う場所に行き、移動の車内で次の患者さんのデーターを確認!
そしてまた手術!
一か所にとどまることなく世界を股にかけて飛んで行く!
まさにスーパーヒーローである。
そんな先生が浅草ハブにドラマーとして出演をした事が何年か前に有りました。
見に行こうと思っていましたが、残念ながら仕事の為に行けませんでした。(/ω\)
確か《オールドボーイズ》と言うグループ名だったかな?
ネットを見るとアメリカでも脳外科の先生を集めてバンドを組んでやっておられるらしい。
そんな先生が偶然にも浅草ハブにいらっしゃいました。
奥様とご一緒に(きれいな奥様でした。)
色々話をさせて頂きました。
昨日も高知に行って手術をこなしてきて、
今日、偶然に時間が空いたので奥様に自分が出た事のある
ライブハウスを見せるために寄ったらしいのです。
凄く気さくで気取らない優しい性格の方、
『僕はニューオーリンズJAZZが大好きで、楠堂さんとはスタイルが違いますが…
いや楠堂さんのドラムは素晴らしいですね!
まだステージが有るんですか?…有る!…じゃもう一回見ていきますよ。頑張って下さい!』
奥様ともお話を一杯させて頂きました。
気取らない良い方でした。(*^_^*)
僕の憧れの福島先生、どれくらい凄いか少しプロフィールをお見せしたいと思います。

 

≪福島孝徳
《福島は脳神経外科医として歩み始めた1970年代より、臨床の現場にこだわり、
独自の視点から、低侵襲・最新の手術を手技を考案し、驚異的なペースで手術を行ってきた。
いかに患者に負担をかけずに、合併症のないきれいな手術による一発全治をはたすか、
というのが、福島の一貫した医療に対する姿勢である。
48歳のとき、学閥と人脈、基礎研究論文数を選考基準とし、
脳神経外科医としての臨床実績やHigh Levelのマイクロ手術手技を
評価しない日本の医学界に疑問を覚え、渡米。
米国でも臨床の現場にこだわり続け、30数年間にわたり毎年600人以上
(米国:250人、日本:300人、ヨーロッパ/南米ほか:50人)
もの手術を行い、患者の命を救っている。
生涯24,000例を超える手術を行い、今なお手術中心の生活を続けている。
その多くは他の医師によって手術困難とされたり、過去に行われた手術で完治できなった患者が、
セカンドオピニオンを求めてきたものである。
神の手と称される手術手技「鍵穴手術(キーホールオペレーション)」は、
福島が開発したものである。
頭部に10セント硬貨ほどの小さな穴をあけ、顕微鏡を使って患部を切除・縫合する。
患者の予後を一番と考え、開発したものである。
この超人的な技術により、通常の開頭手術に比して大幅に患者の負担が軽減され、
世界中の患者から絶大な支持を受けている。
また、世界一の医療水準を誇るアメリカの医療関係者から、
福島は「神の手を持つ男」「The Last Hope」と賞賛されている。》

言う事です。(福島孝徳公式サイトより転載しました)
24,OOO人以上の命を救ってきて、その合間を縫ってドラムを勉強されて、いまだ現役のバリバリ!
会えて感動いたしました。
また会えるといいのですが、ドラムを教えますよとは言ったのですが、(^。^)y-.。o○
世界を股にかけて仕事をしているので今度いつ会えるか…奇跡を信じましょう。

 

もう一つ
今ブームになっている「プロバスケットボール」今年から取り入れられたその名も
「Japanプロッフェッショナルバスケットリーグ」略して《Bリーグ》
つい先日ファイナルを見事制し!初代チャンピオンに輝いたリンク栃木ブレックス!!
大接戦で面白かったですね!ヽ(^O^)ノ
バスケットの事はあまり分かりませんが、そこに出ている選手、
田臥勇太君(ポイントガード)の話です。
凄いですね!背が低いのにあの素早い動きと相手の動きを読む力、ジャンプ力!
まるで僕みたい…('◇')ゞ?

この田臥君の出身高校、秋田県立能代工業高校時代に、
実は僕……田臥君に会ってるんですよ!(これが自慢です。)
彼が高校何年生かは忘れましたが、1997年か8年どちらかに、
能代工業高校の芸術鑑賞会で「薗田憲一とデキシーキングス」が演奏しに行っているんです。
僕のウォッシュボードも見ているし、タイガーラグも聞いているし、僕が飛んだり跳ねたりしているのもみているんですよ。
覚えているかどうかは別にして^^;
だから今の田臥君が有るんですよ……何故かって?
僕が彼よりも早くWBで飛んでましたから^^;(違う違う…関係おまへん^^;)
能代工業高校に行った時、先生が
『うちのバスケ部は日本一なんですよ!その中で田臥勇太君ていうのが素晴らしい選手で、
高校生ではナンバー1の選手です。今、体育館で練習しておりますから是非見て行ってください。』
見させて頂きました。凄いです!掛け声も素晴らしく、動きも半端ではなく
…中の一人が背が低いのですが凄い俊敏で、一番動きがいい!
先生が『あの一番背の低い子が田臥です。』
その時はこんなに有名になるとは思ってもみなかったので…サインもらっときゃ良かった^^;
兎に角、今現在36歳でこんなに活躍して、いまだにトップに居るというのは並大抵の努力ではありません。
背が低いというコンプレックスなんか微塵もなく、周りの選手を引っ張っていく力は素晴らしいです。
まるで僕みたい!('◇')ゞ…(違うと言っとるじゃろが!(><;)
これからも頑張って下さい!(^O^)/

 

ついでと言ってはなんですがもう一つ(亡くなられた方ですが)
一人は山本直純さん(作曲家)
《おおきいことはいい事だ!(チョコレートのCM)》で昔は馴染み深かったんですけど、忘れちゃいましたね^^;
作曲家であり指揮者であり一世を風靡された方。
「男はつらいよ」など映画音楽を手掛けておられました。
NHK「ゆく年くる年」で指揮をされていた方。
髭を生やし眼鏡を掛けいかにも芸術家風で髪がザンバラで…清潔感が……(/ω\)

何のパーティーか忘れましたが^^;衣装はタキシード(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
我々にも席を用意してくれて、芸能人のテーブルでした。
山本直純さんと一緒のテーブルになり、色々お話をさせていただいたんですが、
急に『君の胸にさしている白いエチケットハンカチいい色だね』
「いや、ただのシルクの白なんですが…何か?」
『お近づきのしるしに僕のグレーのシルクと交換しない?…ほらこれ!』
有名な方ですから「いいですよ!喜んで(^^♪」
と交換いたしました。さっと頂いてスッと胸に!
直純さん『いいね、いいね、似合うよ!』
まぁ、取りあえず有名な方でしたから、「有難うございました。」と礼を言いました。
そして演奏時間になりステージへ!
そしてお開きの時ゲストが紹介されてステージへ、
山本直純さんほか色々な方がいらっしゃいました。
やっぱり同じテーブルで御一緒だった、
《芸術は爆発だ!》でお馴染みの世界が誇るアーチスト岡本太郎さん!
ステージに上がって来たのですが、何を思ったのか僕のドラムの所へいらっしゃって、
スティックを取り、いきなり《チン〜♪ドーン♪バシッ!ド〜ン♪ジャ〜ン♪チ〜ん♪》
………『どう?これだよ(^_-)-☆』と仰って向こうへ行かれましたが
…はてさて^^;どうしたものかと…う〜ん
…ここはやっぱり拍手だろうな(-_-;)小さくパチパチパチ!喜んで笑顔を返してくれました。
やっぱり世界に誇る アーティスト!(^O^;)/
そして何事もなく会も終わり着替えをしている時に、
先ほど頂いたハンカチを改めて見直しました。
な、な、な、な、な、な、な、なんと中身は破れてボロボロ(ノД`)・゜・。
な、な、な、な、な、なんじゃこれは!
「てめぇたちゃ人間じゃね!たたっ切ってやる!」^^;破れ傘刀舟(萬屋錦之助)
破れ傘ではなく破れハンカチでした。
山本直純さんにいいハンカチを上げちゃいました。
改めてご冥福をお祈りいたします。m(_ _ )m

 

最後にもう一つ!最後を締めるのはやっぱり巨人軍ですね。

僕が応援してからの歴代の4番バッタ!
長嶋選手、王選手、原選手、松井選手素晴らしい選手であり監督でした。

中でも王選手とのお付き合いがある……と言うほどの親しさは有りませんが、('◇')ゞ
昔僕がデキシーキングスに入った
頃、
自由が丘に在った『5スポット』というライブハウスに応援しに来てくれた事が有りました。
来てくれた時はびっくりして、弱冠24歳の僕は舞い上がって、
緊張で傍へも寄れませんでした!(^。^)y-.。o○
以前のキングスのメンバーが、王さんにレコードをプレゼントなさって、
そのお礼にライブハウスへ来てくれたとの事、律儀ですよね(^O^)/
(故)薗田さんがライブに来てくれたお礼に又レコードを送り、
新しいレコードを出すたびに送ってくれていたらしいです。
756本のホームランを打った時に特集で出た本の中に
「王選手のお気に入りレコード」と題して写真が載っており、
我々デキシーキングスのレコードジャケットが紹介されておりました。(#^^#)
たしか…第4集の(イースターパレード)
一度羽田空港の本屋でお見かけした時
『王さんこんにちは!デキシーキングスの楠堂です。』と声を掛けると
「あぁ、どうもご無沙汰しております。」
『これから遠征ですか?』
「これから大阪です……今日は?」
『僕たちはこれから北海道です。王さんホームラン期待しております。頑張って下さい。』
他愛のない会話をしてくれたのをよく覚えております。
何時だったか「がんばれ長嶋ジャイアンツ!」のレコードが出た時、
1983年だったかな後楽園球場で『がんばれ長嶋ジャイアンツ』の歌を演奏しながら、
後楽園を一周した事が有りましたが良い思い出です。
始まる前にダッグアウト裏の控室で王選手にお会いする事が出来たんです。
『王さん、今日はホームランを期待しております。』
「そううまく打てればいいんですがねぇ〜(^O^)」
…でも本当にホームランを打ってくれたんです!
パーフェクト!エクセレンツ!ワンダフル!\(゜ロ\)(/ロ゜)/
1987年、巨人軍の監督になって初めてリーグ優勝した時、
祝賀会にデキシーキングスを呼んでくれて、一緒に写真を撮ったり、お食事をしたり、
もちろん演奏もして祝賀会を盛り上げましたが、凄い心に残る祝賀会でした。、
日本プロ野球コンベンション(シーズンオフに行われる全ての表彰式)で、
入口でウェルカム演奏しているとステージにわざわざ上がって来て、
一人一人に声も掛けて下さったり…思い出深い王監督でした。

原選手とも膝を突き合わしてお話をした事が有りました。
…一時健康食品のファンケルのコマーシャルに出ていた事が有りました。
ファンケル主催でパーティーが有った時ゲストにデキシーキングスが呼ばれ、
お客様で原選手が呼ばれ、控室が偶然隣同士でしたので、
勇気を出してご挨拶に行きました。
気さくな感じで、テレビで見た通りの原選手でした。
原さんに『今日は大好きな原さんとおしゃべりが出来て最高でした。
お礼に原さんに我々から曲のプレゼントさせて頂きます。』
原さんも恐縮しており「有難うございます。」と喜んでくれました。
そしてウォッシュボードの「12番街ラグ」をプレゼントしましたが…
…原選手の周りにはお客様がハイエナの如くたかっており、
聞くどころの騒ぎではありませんでした。
苦笑いしてすぐにお帰りになりましたが…でも挨拶だけはしてくれました。('◇')ゞ

ほかに巨人軍の中でお喋りをさせてもらったのは、
桑田真澄、高橋由伸、松井秀喜!皆さん気さくで優しい選手ばかりでした。
さてこんなもんかな…自慢するのは^^;
長々とご清聴ありがとうございました。m(_ _ )m

それでは今月もよろしくお願いいたします。\(^O^)/


2017年6月1日(木)

 

 

 

 

第160回

\(^O^)/ \(^0^)/ヤッホー!ポカポカ陽気、春満開(^0^)五月だよ!(^。^)y-.。o○

 

《背比べ♪》
♪柱のきずは おととしの
 五月五日の 背くらべ
 粽(ちまき)たべたべ 兄さんが
 計ってくれた 背のたけ
 きのうくらべりゃ 何(なん)のこと
 やっと羽織の 紐(ひも)のたけ♪

 

♪柱に凭(もた)れりゃ すぐ見える
 遠いお山も 背くらべ
 雲の上まで 顔だして
 てんでに背伸(せのび) していても
 雪の帽子を ぬいでさえ
 一はやっぱり 富士の山♪

 

…子供の頃…(回想中…)柱に背丈の大きさを書いた鉛筆の線、線、線、線…
『浩二!また高くなったなぁ…えらい伸びとるやん!その内追い越されるなぁ…
いっぱい勉強しいや!勉強したら大きなるで!』と姉ちゃん(すぐ上の姉)
「お前に言われとないわ!」(と心で思いつつ^^;)勉強しないで遊びほうけていた頃を思い出します。
その姉ちゃんが……その姉ちゃんが……神戸で…(ノД`)・゜・。
元気に生きてます!(^◇^)/(そこで落すんかい−−;)
この姉ちゃんこそ僕がまだ小学生の頃(姉が中学生)アイロンを振り回し《怖いですよーー;)
僕をトイレまで追いかけて来て
『ボケー!アホ―!この落しまえどうつけんじゃー!(ーーメ;)』
《ガツン!ガツン!ドスン!バキバキ…^^;》アイロンでトイレのドアを叩き壊す音!^^;
少しオーバーですが^^;
小学生までは柱で背丈を測ってもらっていた記憶が有ります。

思い出してみると鯉のぼりを出している家なんか無かったような…
落語の世界でお馴染みですが長屋住まいで貧乏?…
『落語の世界てぇと長屋が多いようで、昔の長屋てぇのは、今のお若い方にはお分かりになりにくいようで、
申し上げますと、三十軒なら三十軒、まっすぐに壁をつけちまって両脇の勾配に屋根をつける。
仕切りってのが全部壁になるわけで…。
間口はってぇと、九尺(2メートル73)でずーっと同じで、窓はない。隣り合わせでいる。
イロハ長屋、ハーモニカ長屋って呼んだんですな。
三尺(91センチ)の戸をガラッと開けるってぇと石畳の玄関、左手に物置、右手に台所、台所に入るってぇと
正面にへっつい!(竈:かまど)右手に流し!左の上りっぷちに板が敷いてある。
これが台所の板で、こいつをはがして、下にぬかみそだの炭や練炭を入れる。

座敷ッてぇのはたいてい一間しかない。』

本からの引用と自分の家とを混ぜましたが、これが落語の長屋です。
僕の家は石畳の玄関を入ってすぐに二畳の間。
右手に三畳の間の台所、奥に六畳の居間、その先にトイレが有り、小さな庭?
多分汲み取り式なので庭をつけないととんでもない事になる^^;
ここに6人住んでおりましたから、貧乏を絵に描いたよう^^;
だからお雛様だから子供の日だから、そんな余裕がなかったと思います。
《テレビもねぇ!ステレオもねぇ!カセットテープってなにもんだー!(; ・`д・´)》^^;
《ティッシュもねぇ、セロテープもねぇ、トイレットペーパーってなにもんだー!》^^;
でも楽しい時代でしたよ。

36年前僕が親父になって、やっぱり自分の子供に、柱で背丈を測って柱に印をつけてあげておりました。
子供二人でしたから、幼児の頃から中学生一年生くらいまで印をつけて、柱はもうグチャグチャ^^;
名前と年月日を書いておりましたから最後は解読不能^^;(*´Д`)
自分の子供が巣立ち、子供が出来、親になったらやっぱり、自分の子供の背丈をを柱で測っておりましたね…
そういうものが受け継がれていくというのは嬉しいですね。

娘が『○ちゃん!背が大きくなったかな?あ〜!大きくなってる!凄い!伸びてる!
(^0^)○○ちゃんは…う〜んと…伸びてる伸びてる!一杯ご飯食べようね(^0^)』
子供達が『うん!』いい光景ですね(^^♪
でも今は柱に背丈を測るシールが有って、柱が汚れないようになってるんですね……
いい考えですね…残しておけるし…。…なるほどねぇ
…なに?昔から合ったって?でも昭和20年〜30年代にかけてはなかったでしょ!^^;
又そんなもの思いつきもしなかったでしょうね^^;
そう言えば映画「オールウェイズ:三丁目の夕日」の中でも柱背丈を図るシーンが有りましたね。

 

さて続いてもう一つ♪
《こいのぼり》 

♪やねよりたかい こいのぼり
 おおきいまごいは おとおさん
 ちいさいひごいは こどもたち
 おもしろそうに およいでる♪

もう一つの鯉のぼりの歌♪


《鯉のぼり》

♪甍(いらか)の波と 雲の波
 重なる波の 中空(なかぞら)を
 橘(たちばな)かおる 朝風に
 高く泳ぐや 鯉のぼり♪

 

♪開ける広き 其の口に
 舟をも呑(の)まん 様見えて
 ゆたかに振(ふる)う 尾鰭(おひれ)には
 物に動ぜぬ姿あり♪

 

♪百瀬(ももせ)の滝を 登りなば
 忽(たちま)ち竜に なりぬべき
 わが身に似よや 男子(おのこご)と
 空に躍るや 鯉のぼり♪

 

懐かしい歌ですね、今はあまり聞きませんが小学校で歌ってるのかな?
上の「こいのぼり」の歌は歌い継がれていますが、下の「鯉のぼり」も子供たちに歌い継がせたいですね。
たぶん歌詞が難しいしいからあまり歌わせないかもね…。
初っ端に書いた「背比べ」も諸説が飛び交って、非常に面白い!(^0^)/

 

♪柱のきずは おととしの  五月五日の 背くらべ
 粽(ちまき)たべたべ 兄さんが  計ってくれた 背のたけ
 きのうくらべりゃ 何(なん)のこと  やっと羽織の 紐(ひも)のたけ」

 

この「昨日比べりゃ何のこと やっと羽織の紐のたけ」小さいころから何の気なしに歌ってはおりましたが……
そう言えばこれはどういう事?65歳にして目覚めました!(^。^)y-.。o○
目覚めんなよ!そんな事で(/・ω・)/…でも意味が納得できませんね…^^;
落語の『ちはやふる』のようにしっかり説明がないとね^^;

 

「なんでも知ったかぶりするご隠居がおりまして、この句を説明してくれと頼まれて苦し紛れに^^;
《千早ふる神代も聞かず龍田川〜からくれないにみずくくるとは》
千早と言う花魁がいてな、龍田川と言う相撲取りが千早に惚れた…けど千早が振ったんですな…だから「千早ふる」…^^;
中略…後略…最後に『とは』が残ってんじゃねぇか!『とは』はいったいなんでぃ!
『とは』は千早の本名だ!」と言う楽しい落ち。


まさかこんな落ちではないでしょうが…しっかり調べました。

(曲)中山晋平(詞)海野厚(歌)古賀さと子
それではウィキペディアをご覧下さい。これが正解でしょう!(^_-)-☆
《歌詞は端午の節句に背丈を計ってもらった子供の視点で書かれている。
これは海野の17歳年下の末弟、春樹の視点から描いていると言われ、「兄さん」が海野である。
柱の傷が「一昨年」なのは、「昨年」は海野が東京におり、

静岡県(現静岡市駿河区曲金二丁目)の実家に帰って来られず、

弟の背丈を計ってやることができなかったからである。

実家に帰れなかった理由は諸説がある。
「やっと羽織の紐のたけ」は、一昨年からの背丈の伸びが羽織の紐の長さと同じぐらいだとする説が有力だが、
背丈自体が大学生の兄(海野)の羽織の紐を結んだ高さとする異説もある。
2番の歌詞は、実家が静岡なので富士山が登場し、弟が自分の背丈と比較しているのである。》
以上!

 

そう言えば、家にはお雛様と端午の節句のおかざり御所人形「初陣」が有りましたけど、
お雛様は娘が嫁ぎ先に持って行き子供も二人女の子なんで問題ありませんが、
息子もまだ一人身なので子供が居ず、御所人形が倉庫の肥やしになっています。
欲しい方が居れば…でもお飾りなんて人にあげるものではないので…男の子か……
う〜ん…僕ももうひと頑張り……してみようかな(#^.^#)…(やめとけ!(; ・`д・´))^^;
それでは今月も応援よろしくお願いいたします。\(*^_^*)/

 

注意:女性読むべからず。(/ω\)…でも気になる方はどうぞ(#^.^#)

《おまけ》艶笑古川柳
☆門口で医者と親子が待っている
☆バッタバッタと亭主のかわる美しさ
☆死にたいのにの字を抜いて欲しい後家
☆女房の泣くたびに居る福の神

 

川柳「雷は鳴る時だけに様をつけ」

 

《雷様の弁当》
甲「源さん、えらい雷やったなぁ」
乙『今の雷か?』
甲「はぁー、俺らぁもうびっくりしたなぁ、近年あんなカミナリ知らんわぁ」
乙『そりゃ俺かてびっくりしたわ!ほんまにえらい雷やった!
何が損になるかわからへん、あの雷の為にええ茶碗割ってしもた。』
甲「ほう、どうしたんや?」
乙『茶漬け食べてたんや、口のはたへもっていった時、ガラガラドッスーン!と来よたんじゃ。
びっくりして茶碗持っている手を放してしもたんじゃ!
落したところに分厚い湯飲み茶碗が有ってな、
湯飲みが割れりゃええのに、わしが大事にしていた清水焼の茶碗が割れてしもて、粉々や!』
甲「そら災難やな!あのカミナリなぁ、どうもこの近くに落ちたような気がすんねん!
事によったら裏の広場当たりに落ちたような気がすんねん、見にいかへんか?」
乙『うん俺もそない思う、見に行こ!……そら見てみい!やっぱりや!あの松の木に落ちよった!
松の枝が折れて、松の木がズルッと剥けてるで!』
甲「あれ、カミナリの爪あとやで!ガーン!と落ちたカミナリが、おのれもびっくしくさって、
松の木をグワグワっとかき上って、天上してしもたんやなぁ…。」
乙『おい!何や妙なもん落ちてるで…なんやろ?…風呂敷包みやな…。』
甲「弁当のように思うなぁ」
乙『あっ弁当や!それも二段重ねや!カミナリの弁当かな?…けどカミナリって弁当持ったりするかな?』
甲「あぁするな、カミナリっていう奴はきつい仕事やからなぁ、パーッと大阪の上走とったかと思うと、京都の方へ行きよる!
そうかと思うとピカーッと光って神戸の方へ行きよる!そりゃあ腹も減るわ、重労働っちゅう奴や!」
乙『そうか、腹も減るわなぁ、弁当もいるわけや』
甲「いったいどんなものを食ってるか開けてみようか?どれどれ…」
乙『うわー、アワビ貝の佃煮ちゃうか?』
甲「いや違う!あんじょう見てみ!アワビとはちょっと形が違う……う〜ん、これ…おまえ、”ヘソ”やで!」
乙『へーそ〜…^^;』
甲「洒落言っている場合か(; ・`д・´)」
乙『すまんへん!ヘソってなんや?』
甲「人間のヘソやがな、カミナリが鳴ると”ヘソ隠せ―”と言うやろ!》」
乙『人間のヘソか!」
甲『そのヘソや!カミナリは人間のへそが大好物や。カミナリが落ちるたびにヘソをグアーッと一杯とっていく!
それを仰山集めて佃煮にして弁当のおかずにしたのがこれや!』
乙「ふーん、違いない違いない人間のへそや人間のヘソや!カミナリと言う奴は贅沢なものを喰ろうてるな…。
人間のヘソを……ええ、人間を馬鹿にしやがって、ヘソは分かったけどこの下の弁当には何が入ってるのかな?」
見ようとすると…
雷様『こらこら!ヘソの下は見たらいかん!』

お粗末様でございました。??
では又来月!さよなら さよなら さよならヽ(^。^)ノ

2017年5月1日(月)

 

 

 

 

第159回

4月です!\(^O^)/
春本番!花見本番!入学式本番!花粉本番!^^;
花粉以外は楽しいですね…でも今年の花粉は大した事がないのか…僕に免疫性が出来たのか?
花粉歴39年目、ベテラン、免許皆伝!?花粉も逃げていく!?もしかしたら今年は軽いかもね…。

 

今月4月は保育園の下の孫が幼児教室に!上の孫が小学校二年生に!あっという間ですね(^O^)/
男は生意気になるが女の子は幾つになっても可愛いから楽しみです。
孫にとって僕(ジイジ)は家来、家臣?m(_ _ )m
僕もお姫様と思ってお付き合いをさせて頂いております。^^;
「ジイジ!私より先に歩かないで!だめぇ〜!ジイジ、おしっこ!ジイジ、帰る!公園行くよ!」
『ははーm(_ _ )mお姫様!』
上の孫が去年「ジイジ!クリスマスプレゼントはこれが欲しいの!」
と口頭で言われたんですが理解できず『紙に書いて!』
安易に請け合ったのですが…買いに行って値段を見てびっくりーー;(;;)大散財!…でも喜んでくれました!
喜んでくれるとプレゼントした甲斐が有ります。
下の孫はあまりわからないので量と大きさと安さで勝負!^^;

4月、花見本番ですが、下の孫が桜が大好き!
3月に咲いている桜はソメイヨシノではありませんが、
家の近くに公園が有って、保育園から帰るといの一番に桜の木の下に行くのです。
桜の匂いを嗅いで『いい匂い!ジイジも嗅いでごらん!』と何時も勧めてくれます。
凄いロマンチストです。(^O^)/

 

桜が満開の今月、残念ながら今年は仕事でお花見には行けそうもありません…残念!
やっぱりこの句かな
《平成29年4月の初め何処も同じ花見時、桜の花は満開の人の心も春めいてな〜となくいい気持》
しょうがないから家でおにぎり、卵焼き、ポテトサラダ、ウインナー、から揚げを食べよっと!^^;

 

さてWBC、我が国日本は決勝ラウンドでアメリカに敗退いたしました。残念!!!
今年のアメリカは一味違いましたね!結果優勝してしまいましたが…^^;
日本での第一次予選、キューバ、オーストラリア、中国、第二次予選ではキューバ、オランダ、イスラエルと
すべて緊迫したゲームでしたが見事全勝(6連勝)していざアメリカへ!
練習試合で2連敗した後、決勝リーグでアメリカに敗退!
結局アメリカがプエルトリコに勝って見事アメリカがWBC優勝!
折角、休みを取って…^^;いやたまたま休みだったんですが^^;
テレビにくぎ付けで応援していたのですが、応援もむなしく2対1で日本撃沈!
負けはしましたが選手それぞれの活躍は目を見張るものが有りました。
中でも応援する巨人軍の選手、坂本選手、菅野投手、小林捕手の活躍は、
巨人ファンの僕にとっては胸を張れる活躍に僕は大喜びです。
第一に小林捕手、このWBCで見直され、ラッキーボーイと呼ばれ、称賛されました。
もちろん嶋捕手がケガで出られなくなってピンチヒッター!
そのチャンスをうまくものにし、WBCのレギュラー捕手として活躍してくれた。\(^O^)/
負けはしましたが、これからの巨人軍を背負って立つ男になるんではないかと、
今年の巨人軍に期待をしております。
もちろん坂本選手、菅野投手も文句なく素晴らしい!応援しますよ!(^O^)/
また4年後……いや次はオリンピックかな…^^;
日本のプロ野球選手の皆様、これからも精進して頑張って下さい。応援しています。
でもまずはペナントレース!\(^O^)/

 

《楠堂ワールドにようこそ!(^O^)/》
(故)吉野五郎1995年平成7年4月22日逝去。早いもので22年が過ぎました。
4月と言う事も有り、少し吉野五郎の思い出をもう少し語ってみたいと思います。
もう時効と言う事も有り^^;核心に迫って書きたいと思います。^^;

吉野五郎さんの思い出は2006年の2月にも書きました。
兎に角、豪快を絵に描いて写真で撮って壁に貼っつけたような方。
そのくせ気の小さい所も…^^;

その当時、キングスは忙しくて忙しく飛行機に乗る機会も多く、
月のうち何度も飛行機で全国のあちこちを回っておりました。
僕の飛行機デビューは何を隠そうデキシーキングス入団の時が初デビュー!^^;
24歳、1975年、昭和50年8月旭川空港行きのYS11というプロペラ機が初デビュー!^^;
飛行機とはあまり揺れずに快適に行くものだと思っておりました…ところがどっこい!
東京から旭川までこのYS11は揺れまくっておりました(−−);
皆さんが言うには「飛行機は車や電車よりも安全!」そんな言葉を信じ安心して乗っておりましたが、
縦に揺れるわ!横に揺れるわ!斜めに揺れるわ!ぐるぐる回ってるわ^^;(それはありませんが)
エアーポケットにはまるわ!生きた心地がしませんでした。
お客さんはもちろん、スチュワーデスさんももゲロパックを使用していましたが笑うに笑えません^^;
演奏旅行は楽しいんですが、飛行機だけは駄目でした!
離陸から着陸まで力が入りっぱなし!
足に力が入り、腰が引きつり、首が固まり、手に汗握りひじ掛けにしがみついている状態!
現地に着いたら疲れ果てて…とこういう状態が吉野五郎さんも同じでした。
エアーポケットに入ろうもんなら2人で『ワァオー!ウーン(−−;)』
まず最初、羽田空港に行くと吉野五郎さんが、
カレーショップでウイスキーのダルマ(オールド)の小さいボトルを買ってもう飲んでらっしゃいます。
『浩ちゃんもいっぱいやりなさい!^^;』
仕事前だし、僕もキングスに入ったばかりですから遠慮はしますが、
飛行機に乗る恐怖心には勝てません!
カレーを食べ生ビールを一杯頂き、絞首台に上がるがごとくタラップを登って行きます。
^^;^^;−−;−−;(;;)(;;)(そんな大層な^^;)
そして離陸!≫≫≫約2時間とチョイかな…
揺れるたびに五郎さんの奇声!『ひゃー』僕は声は出しませんが力が入ります!
天気のいい日はまだ我慢も出来ますが、気流が悪いとエアーポケットの連続です!
僕と五郎さんで顔を見合わせ、お互い苦笑いの連続!
そして帰りの飛行機、その日に仕事が入ってないと吉野五郎さんの天下です。
ボトルを機内に持ち込み飲むだけ飲んで酔っ払ってしまいます!
揺れるたびに『きゃー!怖いよー!』と大声!お客様、皆さん苦笑するばかり…
スチュワーデスさんが飛んできて
「お客様お静かにお願いします!この飛行機は安全ですからお静かにお願いします。」
と笑顔で受け答えしてくれます。
すると五郎さん、酔っているもんだから調子に乗って
『怖いよー!スチュワーデスさん手を握っててー!』^^;お客様も苦笑!
これを見ていると僕まで恥ずかしくなってしまいますが^^;
この行動を止めるのが僕の役目^^;嫌な役目です
「五郎さん、五郎さん、まぁ、一杯行きましょう。僕も我慢しているんですから頑張りましょう!」
『そうだな、飛行機嫌いな浩ちゃんも頑張っているからな…よし!…じゃ二人で飲もう』
変な師弟の友情が出来上がります。^^;
飛行機は毎回、吉野五郎さんと面倒見役の僕が隣り合わせになります。

東京でも何処でも飲みに行く時はいつも僕を従えて飲みに行きます。
その頃僕はバンドボーイも同然のメンバーでしたから、
五郎さんのバンジョーを持ってあげて、色んなライブハウスへ遊びに連れてってもらいました。
五郎さんは弦五郎と異名をとるくらいの名バンジョー奏者!
バンジョーはもちろん、フィドル(バイオリン)、ウッドベース、ギター、ウクレレ、マンドリン、
弦の付くものはなんでも弾きこなしてしまいます!また上手いんです!
ある時なんかポルカバンドに遊びに行って全部弾きこなしちゃうんです。
「凄いですね、ポルカの曲全部知ってるんですか?」
『いや、知らねぇ!聞いたこともねぇ!ガハハハハハ(^O^)』
「^^;」ああいう方を天才って言うんですね、恐れ入りました。
お陰で僕も随分勉強させて頂きました。

兎に角、飲むと朝まで、僕を返してくれません!
『俺の家に泊まれ!』もちろん賑やかな方なので、何時も何人かは一緒です。
そして泊りに行くと奥様にこっぴどく叱られ^^;それでも又家で飲み始める^^;
奥様もあきれててもちゃんとお酒やおつまみを用意してくれて
『浩ちゃんも大変ね、適当にしといてね』と優しく声を掛けてくれます。

北海道函館…前日入りで夜は空いているので五郎さんが「浩ちゃん飲みに行くぞ!」と函館の繁華街へ!
居酒屋で飲んだり食ったりして、さぁ帰ろう!と言う事になりました。
…ここからが時効ですから^^;
前に可愛い女性が二人歩いてい居る…
「浩ちゃん!」顎で前の女性の方を指しながらなんか言葉にならない事を言っている^^;
「ムニャムニャ…うーん(−−;)ムニャ^^;寂しいからよ!」
通訳すると「前の女性に声を掛けて何処か飲みに行きましょうと誘え!」
恥ずかしい事を言う時は五郎節(何言ってるかわからん言葉)が連発します^^;
僕は知らない女性に声を掛けるなんて、そんな経験ありませんが、
先輩の言う事はその頃の僕にとっては絶対です!^^;
その頃の僕はまだ20代、顔にも自信あり?^^;会話にも自信あり、
洒落っ気もあり、笑顔もいい、食べたいくらい可愛かった?^^;
……ほんとそんな時代が有ったんです……今は見る影もありませんが…^^;
路上で声を掛けるなんて言うのは最低最悪!
何かきっかけが有ればなと思っていたらケーキ屋に入ってくれた。
もうこっちのもん!^^;
ケーキ屋さんで楽しいお話をいっぱいして、なんとか気を引くように、
こっちの言葉に乗ってきてくれたら儲けもの!
まずは僕の素性を言う。
デキシーキングスというバンドに居て、明日は函館公演があるので、
遅くならない程度に一緒に飲みませんか?と言うと一発オッケイ!!
僕は下心は有りません!^^;
先輩の為なら命懸けです!^^;
吉野五郎さんもまさか可愛い女性と一緒に飲めるなんて思ってませんでしたから
『凄い凄い、浩ちゃん凄い!』の連発!
それからどうしたかって?まずは小奇麗な飲み屋に入り交流を高め、
それから生バンドの入っているパブって言うのかな…
飲んだりダンスをしたり…五郎さんも可愛い女性と踊って大のご機嫌(^O^)/
もうやんやの盛り上がりよう!楽しかったですよ!
それからどうしたかって?……うふ…うふ…うふ…ご想像にお任せいたします。
…と言いたい所ですが…プレイボーイは引き際が肝心!
『どうも有難うございました。縁と命が有ったらまた会いましょう!』
五郎さんはどうにかしたかったみたいですけど^^;
僕が「五郎さん、引き際が肝心ですよ」…『そうか…』^^;
そんなことを言ったかどうか…逆だったりして^^;
楽しい旅の思い出でした。

旅の思い出でもう一つ^^;五郎さんの我儘ー!(^O^)/
五郎さん面倒をみるのはほんと大変でした^^;
自分でいえば済むことを、わざわざ僕に言わせる…
晩年は僕は知らない振りをするようになりましたが^^;16年間は大変でした!
まずは五郎さん御付きの荷物(バンジョー)持ち、
飛行機なんかで楽器を預けるのですが、楽器が壊れる可能性が有るので、
機内に持ち込んで大事に抱えてることが僕の役目!『浩ちゃん頼むよ!』と16年間^^;
でも流石に僕が40歳になった時。
「すいません、もうぼちぼちバンジョーにスポンジを入れて、動かないようにして預ければ大丈夫だと思います!」
と言える年にり、お願いするようにしました。
飛行機でバンジョーを抱えてなくて一時寂しかったですけど^^;…楽でした。(^O^)/

地方での食事の世話…話せば長いんですが^^;
旅に行くと必ず出るのが新鮮な御魚料理!
九州、四国、広島、山陰方面、上越方面、静岡、秋田、青森、北海道。
吉野五郎さんは、この魚が食べれない!っていうか食わず嫌い!
マグロのトロ以外口にしない!つまり我儘!
ファンの方主催でお食事会!地方でマグロ以外の魚が出ると、僕の方睨み、顎をしゃくる^^;
例の五郎節が出る^^;
『魚が食えないから他のものを頼んで来い!』という合図^^;
これには僕も困りましたが、先輩の言う事は神の声ですから知らん顔をすることも出来ず^^;
一応薗田さんに断って、蔭へ回って違う料理をお願いするのですが、
九州長崎県を回っている時はほとんど魚でした。!
毎回毎回、黒鯛の生き作り、鯛、ヒラメ、エビの躍り…マグロなんて出て来ない!^^;
だから帳場へ行って「魚がダメな方がいるんですけど…トロは食えるんですけど…」って言うと
『おかしいわねマグロが食べれて鯛が食べれないなんて…^^;
じゃステーキでも焼きましょうか…ウナギでも取りましょうか…別のを見繕いますよ…』
と気をつかってくれます。
だから地方へ行くと五郎さんは何時も違う料理^^;
好きなものはステーキ、焼き肉、トロ、兎に角、トロッととろける様なものなら何でも^^;

兎に角、豪快に笑い!豪快に食い!豪快に演奏し!豪快に我儘!
豪快に僕の面倒も見てくれて!豪快に天国に行ってしまわれました。
周りの方に凄く慕われておりました…改めて心よりご冥福をお祈りいたします。

 

さて!今月も応援よろしくお願いいたします。\(^O^)/

 

今一番はまっている艶笑小話^^;
〔合図の太鼓〕
えーある大名の若殿がお嫁さんをお貰いになった。品行方正で未だ童貞(チェリーボーイ)
お嫁さんの方もちゃんとしたお大名のお嬢さんですから、こっちも何も知らない。つまりこちらも処女!
床ん中で何をやったらうまくいくか皆目見当が付かない^^;
そこで若殿が爺の三太夫にこっそり聞いてみる。
……………ヒソヒソヒソ…。
「では若殿、この爺ぃめが隣の座敷にひそかに控えておりまして、太鼓にてお合図いたしましょう!」
『太鼓にていかがにいたすのじゃ』
「さよう、まずお姫様の上にお乗りあそばしませ!」
『予が上になるのじゃな』
「御意…お道具をお姫様の穴の所にお付けあそばしませ」
『予の抜き身を姫の穴に当てるのじゃな』
「その時この三太夫が太鼓を一つ叩きます。その一番を合図に、まず殿のお道具をグッとお入れ下さい」
『ウン、差し込むのじゃな』
「で、この三太夫が二番を打ちますれば、今度はお抜き下さりませ」
『一番でいれ二番で抜くのじゃな』
「御意、三番でまた入れ四番でまた抜く…。つまり太鼓の通りになさいませ」
『うん、心得たぞ』
さて本番当日
ドーン、ドーン、ドーン……。
三太夫は忠義の心をバチにこめまして、ゆっくりゆっくりと合図の太鼓を打ち続ける…。そのうちに、
『あァ、これ、三太夫ゥー!』
「ハ、ハハー……m(_ _ )m」
『早打ちにいたせ!』……………。

 

《植え付け》
えー、大層なお金持ちの家に娘が二人、姉が18で妹が16.
気立てが良くって美人で近所でも小町娘という評判でございます。
結構な身分で何不自由がないんですが、人間欲をかけば果てしないもので、
両親としてはこの二人が娘でなくって息子であったらと思わぬ日は有りません。
なんとか男にならぬかと、医者にすがり、占いにすがり、この上は神仏にすがるよりほかないだろうと、
日ごろ信仰していますある名高き寺の和尚に相談を掛けます。
父親「何とかお坊様の法力で娘どもを男にして頂けませんか?」
和尚「うん、御経にも変生男子という法があるによって、ひとつやってみましょう。
ではさっそくお娘御を拙僧のところへ御寄越し下され」
喜んだ両親は、たんまりと包んだ祈祷料と共に娘二人をお山に連れてまいります。
和尚はてえと早速仏壇の下に用意いたしました密室へ娘を隠しまして、
暇さえあるとそこへ来ては怪しげな祈祷に取り掛かる。
そうして三七、二十一日の満願になりましたが男に変わるわけがない!
父「お坊様いかがでございました?」
和尚「うん、あらゆる法力にすがって努力いたしてみたが、無理でござった。二人とも仏縁に薄く、
まぁ前世の因果とおきらめることでございますなぁ…」
両親はがっかり致しましたが、仏縁に薄いと言われちゃしょうがない。連れ戻って
父「いったいどういうお祈り受けたんだい?」
姉「お坊様はずいぶんと精出して植え付けようとなさいました。」
父「植え付ける?」
姉「ハイ、でも…その度に抜けてしまって、とうとう植えてけられませんでした」
妹「根が付かないのも仕方ありませんわ、いつもアベコベに植え付けようとなさいましたから…」

お粗末様でした。m(_ _ )m


2017年4月1日(土)

 

 

 

 

第157回

3月でーす!もう春ですね!桜の季節ですね!
とは言うものの、朝夕はまだ少し冷え込みますね。
《♪春は名のみの風の寒さや♪》
ぽかぽか陽気は3月の末当たりかな?

《平成29年の3月の半ば何処も同じ花見時〜桜の花は満開の〜人の心も春めいて〜な〜んとなくいい気持》…。

この季節になりますと男というものはなんとなく…こう…落ち着きがなく、
女性の方に目が行き、さかりが付いたようになる…犬だね^^;
昔から男にはよく言われてる《飲む打つ買う》もちろん堅気さんではなく我々芸人、水商売の間での話ですが…。
僕もよく兄貴に言われました。
「男たるものはそういう経験こそが役に立つんだよ。博打はあまり感心出来ないけど……」
お陰様で僕の場合は若い時に一手!に引き受けてしまいましたが^^;


《飲む方は》…親のDNAを受け継いでいるのか強かったです。
前にも書きましたが小学生で赤玉ポートワインを飲まされて頭がポーッとなる!
だからポートワインというんでしょうかね^^;(聞き流してください。)
中学生で芸者さんに勧められて日本酒を覚え、高校では日本酒の美味しさが分かり。
(なめる程度ですからご心配無きよう)
音楽業界に入った46年前には酒を浴びておりましたが強かったんですね^^;
20代は浴びる酒!30代は迷いの酒!
40代は付き合い酒!50代は味わう酒!
60代は一人酒!^^;70代は多分悟りの酒!?
てな具合で僕は一人酒でやっております。
酒と女は二合(号)まで^^;と冗談で言っておりましたが今では2合止まりです。
それ以上飲むと次の日に残るようになってしまいました。
今は可愛く焼酎でお茶を濁している次第です。…情けない^^;

 

《打つ方は》…賭け事の事ですね
…う〜ん…賭け事をやらなくなって30年以上ですかね…
一番初めは大阪のキャバレーで花札を覚えました。《こいこい》という遊びです。
先輩に教えられたのですが、最初はあまりやる気がなく可愛いものでした。
その内・・・病みつきです。^^;
『コーイ!コイコイコイさぁーコーイ!猪鹿蝶に松桐坊主!七反いちころや!(役満みたいなものです)!(><;)』^^;
大興奮!!!命懸けでした!^^;
その次がオートレース。東京に引っ越して間もなくでした。
これも友達に教えてもらったのですが、これも病みつき!狂っておりました!^^;
その頃、家が赤羽で川口オートレース場がすぐ近く!
「俺と行くと絶対負けないよ」と甘い言葉に誘われてうかうか着いて行ったら、はまってしまいました。
その時代は遊ぶお金なんかありませんでしたから2,3千円持ってオートレース場へ!
100券2,3点買いで全レース遊んでおりました。大人しく可愛いもんです。
『且元ー!逃げろ!逃げろ!インだ!インだ!そのまま!そのまま!よし!インへインへ!よし逃げろー!
(>0<;)駄目か―!ーー;』
『広瀬ー!追い込めー!追い込め―!そこだー!追い越せー!不死鳥ー!広瀬ー!
(>0<;)あーあ…また駄目かー!−−;』
『小堀ー!インだー!もっと割り込め―!割り込めー!そこだ!ぐっとぐっとぐーーっと
(>0;<)…がっくり…(;;)』
疲れました。^^;
その頃のスターが且元!阿部!広瀬!小堀!もう引退をされていると思いますが、当時ハンデ戦と申しまして、
スタート地点を0メートル地点、そして排気量の多さや技術のうまさで10メートルづつくらいハンデが後ろにつきます。
一番凄いのは伝説にもなっておりますが0メートル地点から260メートル後ろからスタートで優勝というのが有りました。
それが広瀬登喜夫という方です。川口オートレース場のスターでした!
僕も見た事が有るのですがハンデ110メートルでした。もちろん結果は勝ちましたが^^;
伝説によると^^;今はバンク一周500メートルですが(だと思うんですが^^;)
1960年代くらいまではバンク一周800メートル有ったそうです。
その時のハンデが伝説の男、広瀬登喜夫!360メートルだったそうです……皆様にとってどうでもいい事ですが^^;
勝った事が有るかって?そりゃもう(^O^)/
写真判定!入れば万車券というのが有りました。それが聞くも涙語るも涙(;;)
連勝単式,連単というやつですね、買ったのは3−5。一着二着の順番。
ゴールは一着が3!二着が5と6の同時ゴール!当たれば万車検!一生遊んで暮らせる…
(そんな大層な200円券ですから^^;でも僕にとっては大金^^;)
写真判定『来い来い来い来い来いコーイ!(^O^)/入れば5万円は確実!今日は大散財するぞー!』
手が震え、足が引きつり、腰が躍る!
『3,5…3,5…3,5…神様、仏様、稲尾様!巨人、大鵬。卵焼き!』
《写真判定発表いたします!一着3番二着写真判定……………》
(引っ張るなっちゅうねん!《二着写真判定…6番!》
がくっ!−−;…帰りは家まで歩いて帰らねばーー;とほほほほっ(;;)…
と言う訳で楽しんだオートレースでした。\(^0^)/
トータル的には負けております。^^;
後はやってもポーカー、パチンコ位、麻雀はやりません!
僕はやったからわかるのですが、博才が有りません!^^;気力がないんですね^^;
お金をかけて買っていると止めさせてもらえないし−−;
最後には『負けてもいいや!…この辺で負けて、もうやめさせてもらおう!^^;』
要するに面倒くさいし、人間も見えてくるし、やるならボートやオートや競馬やパチンコ^^;
角が立たない自分一人が悔しがるのがいいです。^^;
昔は《立てばパチンコ 座れば麻雀 歩く姿は馬券買い》^^;なんて言葉がはやりましたね。
今のミュージシャンの方達は皆さん真面目ですね…強いて上げるとすれば楽しいお酒を飲んでおられますね。^^;

 

さて、最後に《買う》COW牛ではありません^^;
女性の方には申し訳ありませんが、昔、遊郭(ゆうかく)なるものが国で公認されておりました。
日本のあちこち東京では浅草、新宿、品川など、昔の方達は楽しんでらっしゃったという話をよく聞きます。
この遊郭なるものが日本にあったのは、古くは安土桃山時代(ふるー^^;)から、
1958年(昭和33年)3月31日までという話を聞きました。
何故出来たかと申しますと、やっぱり昔から犯罪防止と言う目的もあったそうでございます。
その他色々内情は有ったでしょうが…。
あたくしなんかも散々通いまして、あまり日参し過ぎて親父に小言を食ったことも何回も…^^;…
女性というものを《嫌い》と言う殿方はいらっしゃらないと思いますけど…
僕なんかも女性はつくづく《いいもんだなぁ》と思う次第です。…ハイ^^;
「どう?女が好きだろう?」「いや、まぁ酒がありゃ別に大丈夫だよ…
でも横に居てくれりゃそれに越したことはないけどな^^;」とい人もいれば、
「どうだい?女は好きだろう?」『好きで好きで、俺が女になりたいぐらい!」
若いと言う事はやっぱり自然、はけ口が欲しいんです…中には変人もいらっしゃいますが^^;
『僕はいいです!女より男の方が…』

僕なんかも若い時分は……そりゃもう…大変でした(何が大変だ!)
僕がキングスに入団してからの話です。
バンドボーイの面倒はすべて僕が見ていたというか、育成係とでもいうんでしょうか^^;
数える事…う〜ん…5人ほど面倒を見ておりました。
30年以上前の話ですが、バンドボーイで金ちゃんてのが居ましてね、もちろん可愛くて童貞!
その筆卸の為に説教なんぞして『いい若けぇもんが何時までも童貞なんて持ってんじゃねぇ!早く捨てちまえ!」
九州で仕事が有ったもんですから、中州へ連れて行きましてね、その店の前で、
「行って来い!男になって来い!出て来たら人生変わるぞ!』
なんて偉そうなことを言っちゃって^^;…2時間後迎えに行きました^^;
『どう?』…「そりゃもう…よかったっす!(^0^)」そんな思い出があります。
今も『チェリーボーイの金です!』ってメールが良く来ます。^^;

今現在の日本は、皆様ご存じのような怖い世の中になってきております。
ストーカー事件、ストーカー殺人、痴漢、トイレ、エレベーターの隠し撮りなどなど…。
裁判官が電車の中で痴漢行為をしたり…教師も痴漢行為…警察官がストーカーや痴漢…世の中一体どうなってるの?
一体何を信じていいのか…警察官を信じないで、警察犬を信じる時代^^;
中で一番怖いのが女性の敵であるストーカー…怖いですねーー;
今の時代に遊郭なるものがあれば、多少はこんな事件が減るのではないかと思う今日この頃です。^^;

遊郭が有った時代は花魁…お女郎さん、女給さんとも呼んでおりました。風情が有ったそうです。
昭和33年以降赤線から青線に変わり、少し進歩して^^;トルコから…ソープランドへ!
そして今はファッションヘルス?すべていけない事なんですが必要悪かもしれません^^;
あまりよく知りませんが(それだけ知ってれば御の字だ!−−;)
そういう所はやっぱり高いらしいんです…聞いた話ですが^^;…今の若い人達には高すぎます。
だから若い人達は陰(いん)に籠って犯罪を犯してしまうかもしれません!
犯罪が起きないように公認の遊郭を!………無理ですね^^;時代が時代だから^^;
今日本人は男女とも婚期が遅すぎるように思います。
40、50にもなって結婚しない男どもが多すぎる!聞いとるか!?^^;
早く結婚をするように!^^;

 

《中入り》

 

《1958年長嶋茂雄選手が巨人入り(遊郭が閉鎖された年^^;)1965年結婚!
結婚した次の年の公式線が遠征続きで夫人の元の帰れず、打撃が下降!スランプに陥る!
時の監督川上監督が一日移動日が有るから奥さんのもとに帰らせた!
するとその翌日からガンガン打ちはじめ、あっという間に首位打者に!》
と言う話を何かの雑誌で読んだ事が有ります。(^O^)/男なら分かります。理解できます!^^;
やっぱり早く結婚しないと…。それとも遊郭?^^;
さて、元に戻ります。^^;落語の話の中にも廓(くるわ)の話が一杯有ります。
粋で、風情があって、情があって実に楽しい落語が一杯有ります。
『明け烏』『三人起請』『居残り佐平治』『五人回し』『ひだり馬』『付け馬』『品川心中』などなど…
一度CDでお聞きになるか、本でも買ってお読みになるか、楽しんでみて下さい。
もう37,8年前だとは思いますが、高知に仕事で行った時に主催者の方が、
「あそこに見える明かりが唯一残っている遊郭だよ。

そして川向うがソープ街、遊郭の方へ後学の為に行ってみる?」
『はい、お願いします』行きました。^^;
もちろん冷やかしです。^^;(ほんとかい!?)歩いてるとやり手ばあさんが暗がりから、
『どや!兄ちゃん!ええ娘おるで…どや、やっぱり若いから若い子がええやろ!
それとも金髪がええか?チャイナがええか?』こんな具合です。^^;
僕は行ってませんよ…残念ながら…。(なんか意味ありげやな…隠しとるんちゃうか?)
余談ですが、僕の義兄(故)露の五郎兵衛が若い時(僕の姉と結婚してから)
『浅草の吉原に全身刺青の花魁が居るんやて、ぜひ行ってみたいんやけど…』と言ったら、僕の姉が
「芸の為や、話のネタや、行っといで!」と送り出したという話を聞いた事が有ります。
兄貴もすごいけど、それを平気で送り出した姉が凄い!…僕も一緒に行きたかった^^;
今思うに1958年、昭和33年以前に戻りたい!\(^O^)/

このホームページも14年目に突入しました。今日が14年目にして一番危ない『楠堂ワールド』でした。^^;

《番外》アメリカはニューオーリンズの最大の歓楽街ストーリービル!
第一次世界大戦に参戦するために1917年12月にストーリービルが20年の幕を閉じたそうです。

 

口直し《あのね帳より》


☆おかあちゃんがおこったとき
おでこにしわがよる わたしがのばしても
「ゆうこときかへんかったら このままにしとくよ」といいます
おかあちゃんがおばあちゃんになったらいややから
わたしはかしこうするねん

 

☆おとうちゃんボーナスのときは ものすごいやさしい
おかあちゃんも ばん おとうちゃんだけにはものすごくごちそうする
「わたしも」とゆうと「なにゆうとんねん!」とゆう
そやからおとなはいやになる

 

☆おつきさま ぼくをげっこうかめんにしてください
ぼくをなないろかめんにしてください
おかあちゃんがおかねをくれるようにしてください

 

それでは皆様、今月も応援よろしくお願いいたします。\(^O^)/


2017年2月1日(水)

 

 

 

 

第157回

皆様二月です!\(^0^)/
先月はそれなりにお仕事もあり休みも有りました。^^;
もちろんお仕事は全力投球です!(^0^)/

お休みの日は孫を保育園に迎えに行くのが日課になっております…ジジ馬鹿でございます。
…上の子は小学校一年生、下の子はまだ保育園の年中さん。
二人とも女の子なもので、可愛くて可愛くて家で遊ぶときは家来になって、言いなりになっております。^^;


『じーじ!』「ハイ。」『馬になって!』「はいはい」
『じーじ!早く来て!私より早く行っちゃいけないでしょう!』「はいはい!」と言うがまま^^;
上の子はなつくのに少し時間がかかりましたが、下の子はすぐになついてくれました。
今ではベッタリくっついて離れません!(^0^)/
甘え上手で泣き上手で^^;帰り際も離してくれず、上手に泣いてくれます。
『じーじ、帰っちゃダメ!』
「お腹空いたから帰ってご飯を食べるの」
『うちで食べてって!泊ってもいいよ!』
「でも明日仕事だから帰る、じゃぁね」
『じーじ!帰らないでー!じーじ!』
と泣きじゃくり、ここから15分ぐらい戦争です。^^;
「また明日来るからね、バイバイ(^0^)」
泣いている孫を見ながら寂しく帰ろうとしてドアを閉めたとたん、ピタッと泣き止みます^^;
「…うん?あれ?演技かなぁ」
…でも
嘘でも泣いてくれると嬉しいもんですね。(^0^)/

 

さて、のろけ話は置いといて^^;…2月3日は節分です!
『鬼は外〜!福は内〜!』『鬼は外〜!福は内〜!』と、お父さんは外へ追い出されるんでしょうね^^;
今年の恵方は《北北西》だそうです。
北北西の方向いて、恵方巻を物も言わずに食べなければならないそうです。
そんな事誰が考えたんでしょうね^^;それを考えると眠れなくなっちゃう^^;
でも良い一年で有ればそれに越したことは有りませんが…

 

昔…そう今を去る事35,6年前かな、デキシーキングスの仕事にも慣れた頃、
歌舞伎座の招待券を頂いて歌舞伎座へ見に行ってから、歌舞伎にはまってしまいました
…この僕が…似合いませんか^^;何故なんだろう…出し物は忘れましたが、ただただ感動でした!
その当初市川海老蔵(亡き團十郎さん)さんが出ておりました。
テレビに出ている時よりも大きく見え、大きく目を開いて見えを切り、声も太く…
訳も分からず感動しました。
僕が今のジャズの世界に入り初めてカウントベイシー楽団を見た時の感動に似ています。(^0^)/
それほどに手が震え足が震え、血沸き肉躍り涙が出てきます。…それほどでもありませんが、^^;
兎に角、もっと知りたいと思ったのは正直な感想でした。

歌舞伎役者には何代目っていうのが有ります。ちょっと省かせて頂きます。^^;(すっかり忘れてしまいま^^;した)
当時大好きでよく見に行っていた…亡くなった市川團十郎(現、海老蔵さんのお父さん)さんや
中村勘三郎さん(亡くなった勘三郎さんのお父さん)
尾上梅幸さん市村羽左衛門さん、中村歌右衛門さん…尾上松緑さん、まだ現役で頑張ってらっしゃる尾上菊五郎さん…。
まだまだ一杯いらっしゃいますが、その当時は感動の連続でした。
役者さんのあのお年であの動き…勘三郎さんが手だけでお芝居したり(見ないとわかりませんね^^;)
若い方の女形は綺麗ですが、齢60を過ぎての女形…70前後だったかな…実に色っぽく、引き込まれてしまいました。
裏方の黒子さんの手早さ見逃すことが出来ません!

歌舞伎の事が知りたくて本を買って勉強したり、毎日でもありませんが
仕事が休みの時は歌舞伎座へ行って歌舞伎を楽しんでいました。
誰も知らない僕だけの秘密の趣味でした。^^;


はじめの内は歌舞伎を解説をしてくれる無線みたいなものがあって、イヤホンで歌舞伎の解説を聞きながらです。
歌舞伎を知るうえでそれが一番の近道です。
一番初めに、何故寺院の建物が出て来るのかとか、鳥居が出てきたりとか、色々説明を事細かく教えてくれます。
通っているうちに様子が分かり、慣れだしてからは必要がなくなり楽しめるようになって来ます。
毎日行くにはお金が続かないのですが、確か歌舞伎座は3階席まで有って、
3階は500円だったかな、いつも3階席に行って楽しんでおりました。
あまりの楽しさで朝から夕方まで!弁当持参で!^^;
もちろん自分で卵焼きを焼いてウインナーを入れて^^;おにぎりを作り、(花見かい!^^;)
朝から夕方まで通しで^^;楽しんでいた時も有りました。実に楽しい思い出。\(^0^)/


3階席はいいんですよ!掛け声を掛ける専門の方達があちこちに座ってらっしゃって、
いい間でいい声で「音羽屋!」「成駒屋!」「成田屋!」と掛け声を掛ける。
もちろん1階や2階でも声を掛けられる方はいらっしゃいますが、何と言っても3階で声をかけるのが醍醐味があります。
それもまたいいタイミングで掛けるんですね、声が太く、するどく、よく通る声なんです!僕には出来ません!^^;
一度兄貴『(故)露の五郎兵衛』に「誰でも声を掛けられるんですか」と聞いた事が有るのですが、
『大丈夫、大丈夫、中には間の悪い掛け声をかける方も結構いらっしゃるから、
自信をもってここだと言う時に声を掛ければ!役者の方も声を待っているよ』
安心して僕も真似をして声を出しましたが、恥ずかしいうえに声が小さく可愛らしい声で「おとわやー!」
いけません^^;駄目です^^;声になりません!^^;

楽しんで見る事が一番です。\(^0^)/

 

…うん?何を言おうと思ってたんだろう…そうそう2月3日は節分です。
歌舞伎の演目に《三人吉三巴白波(さんにんきちさともえのしらなみ)》という演目が有ります。
《お坊吉三、お嬢吉三、和尚吉三》のお話です。
芝居の中で夜鷹から奪った百両…お嬢吉三(おじょうきちざ)の名セリフがあります。
あっ聞いた事がある!という人が結構いらっしゃると思います。こんなセリフです。七五調で楽しいですよ!

《月も朧(おぼろ)に白魚の 篝(かがり)も霞(かす)む春の空 冷てえ風もほろ酔いに
心持ちよくうかうかと 浮かれ烏(からす)のただ一羽 ねぐらへ帰る川端で
竿(さお)の雫(しずく)か濡れ手で粟(あわ) 思いがけなく手に入る(いる)百両
(舞台上手より呼び声)御厄払いましょう、厄落とし!

ほんに今夜は節分か西の海より川の中 落ちた夜鷹は厄落とし

豆だくさんに一文の 銭と違って金包み こいつぁ春から 縁起がいいわえ》

《よっ!(>0<;)音羽屋ー!!》てな具合です。
「よ」はいりませんが^^;
素晴らしいお芝居でした。
今は歌舞伎座から新歌舞伎座に変わりましたが、一度行ってみたいですね。
《鬼はそ〜と!福はう〜ち!》良い一年でありますよう。\(^0^)/

 

総入れ歯…じゃなくて、そう言えば^^;2月はバレンタインデーですね。(^0^)/
昔2月14日バレンタインデーの日に浅草ハブでのお仕事がかち合った事が有ります。
何十年も前です!
義理チョコ30個以上頂きました。嬉しくないと言ったら嘘になりますが…凄い量です。^^;
《義理チョコを貰って嬉しい子供達》そんな川柳が有りますが、チョコレートを持って帰ると子供たちが大喜び!(^0^)/
チョコレートを欲しがる年ではありませんが、女性が男性に愛を告白できる一年でたった一日のめでたい日?
バレンタインデー、ホワイトデー、
プロポーズなさった方もいらっしゃると思います。
《プロポーズあの日に返って断りたい!》そうならないように…^^;

チョコとは関係がありませんが都々逸を一つ
♪飲み比べ〜介抱されよか〜それとも勝って〜介抱しようか〜迷う猪口(ちょこ)♪
チョコだけあってる^^;

 

さて今月も張り切って『熱演!全力投球!』で頑張ります。

応援よろしくお願いいたします。(@^^)/~~~\(^0^)/

2017年2月1日(水)

 

 

 

 

第156回

皆様、酉年です。《??<♪コケコッコォー♪!》 ではなくて

??<♪クックドゥドゥルドゥー♪》(アメリカ)でもなくて^^;

明けましておめでとうございます。m(_ _ )m

どうして鶏になったんだろう?そう言えば昔《コケコッコォー!夜が明けたー!》

と子供の頃に言っていた記憶がございます。…関係ありませんが^^;

 

西暦2O17年 平成29年 酉年 年の初め…月の初め…日の初め…時の初め…

なんとめでたい事でしょう!毎年毎年興奮する元旦!

まるで子供のように…まるで元旦にはお年玉が貰えるのではないかと錯覚に胸躍ります。^^;

実際には懐が痛みますが^^;かわいい孫の為なら(^O^)/

28日には部屋を大掃除!布団を干し、障子を洗い、埃まみれになりながらハタキ掛け、

濡れ新聞を畳の部屋にまき散らし箒でお掃除!

そして雑巾がけ!懐かしいなぁ(^O^)/

(何十年前のはなしや!?)

そして正月飾りをかざりみかんを食べながら指折り数えて、

正月が来るのを待っております。^^;

可笑しいかな?…。^^;

兎に角、きれい好き!女の子のような性格!^^;

掃除が大好きで洗濯が大好きで洗い物が大好き!

なんせ姉三人に育てられましたから^^;

強くたくましく育ってくれという親の遺言を無視し^^;優しくかよわく育ってしまいました。^^;

でもそんな僕にも一つだけ出来ない家事が有ります

……料理です…これは難しい!…いい人見つけないと…(お前幾つや!(><;))

そんな事よりも今年は酉年です。良い年になるよう頑張ります。

皆様にとっても良い年でありますよう心から祈っております。

『それでは皆様!今月も隅から隅まで…ずずずいーと!…《チョン!》

応援、よろしくお願いいたします。m(_ _ )m

これでお別れするのは何ですから十二支のはじまりを書きたいと思います。

(やっぱり指が動いてしまいます。^^;)

 

《むかしむかし、神さまがいいました。

「動物たちよ、元旦の朝に集まりなさい。

一番早く来たものから十二番目のものまで、順番にその年の守り神にしてあげよう」

神さまから大事なお役目をもらえるというので、動物たちは張り切って元旦を待ちました。

けれど猫だけは集まる日を忘れてしまい、鼠のところに聞きに行きました。

「鼠どん、神様がおっしゃった日はいつだったっけな」

鼠は、猫がこなければ自分が選ばれると思って、

「猫さん、神さまは一月二日に来るようにとおっしゃったよ」 と、答えました。

気のいい猫は、鼠のことばをすっかり信じてしまい、元旦の朝は寝ていました。

さて、動物たちは元旦の日の出とともに神さまのところへ向かいました。

鼠は先頭を歩いている牛の角につかまって行き、

もうすこしというところで飛び降りて、一番に神さまのところへ行きました。

つづいて牛がやってきて、虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪の順番で

神さまのもとにたどり着きました。

猫は元旦の朝にたっぷり寝坊をして、翌日の朝はやく神さまのところへ行きました。

ほかの動物たちが来ていないので、てっきり自分が一番だと思い、

「神さま、わたしが一番ですね。大事ななお役目をいただけますか」 と、いいました。

神さまは、すこしあきれたような顔をして、

「猫よ、わしは元旦に来るようにいったはずだよ。

ざんねんだが年を守る役目はすっかり決まってしまった」といいました。

それで猫は鼠にだまされたことを知り、じだんだをふんでくやしがりました。

それから猫は鼠を見ると追いかけるようになりました。

そんな話をイタチが聞きつけて神様のところに行き文句を言いました。

「神様、おらぁ1年の守り神を決めるっちゅう話はきいとらんぞ!

もう一回初めからやり直してくれ。」

すると神様は『そりゃぁ無理じゃ!また面倒なことになる、残念じゃが諦めてくれ。』

イタチはいったんは帰りましたが、やっぱり納得がいきませんでした。

その次の日も、またその次の日も毎日毎日神様のところへやって来ては、

文句ばっかり言っていました。

神様もいい加減嫌になり『わかったわかった^^;ではこうしよう…

一年の守り神は変えられんが1年の中の12日だけお前さんの日にしてあげよう!』

イタチは納得がいきませんでしたが渋々「じゃ…いつになるんですか?」

1年12ヶ月の最初の日をイタチの日にしよう!イタチと言えばみんなが怒るから、

《つ》という字を頭につけて《つ…いたち》でどうじゃ?…ならいいだろう!

《”つ”いたち》じゃ!どうじゃ!』

イタチは初めのうちは納得しませんでしたが、

「《”つ”いたち…か…》まぁよしとしよう(^O^)/」

12支と月の初めの一日(ついたち)が決まってめでたしめでたし。おわり》

 

それでは毎年恒例ですが…。

 

《川柳》

正月や我が女房に一目惚れ

正月やもちで押し出す去年…これはやめておきましょう!^^;

 

《大晦日の借金取りが来た時の川柳》

ある様に見えて無いのがお金、無いように見えてあるのが借金!

 

1、貧乏すれどこの家に風情あり 質の流れに借金の山

2、押し入れで息をこらして大晦日

3、大晦日今はへそくりあてにする

4、大晦日もうこれまでと首くくり

5、元日や今年もあるぞ大晦日

 

正月らしく少し艶っぽいのを!

《都々逸》

♪誰の〜似顔か〜羽子板抱いて〜髷を〜気にする〜高島田〜♪

「白い襟足島田が似合う笑くぼ可愛や愛嬌があって心も花の色盛り

今年19のつぼみの花を誰が折るやら散らすやら…」

 

♪明けの鐘〜ゴンと鳴る頃〜仲直りしたら〜スネた〜時間が〜ほしくなる〜♪

女「楠堂さん…調子高かぁありません」

楠『いいだろう…』

女「…でもあたし…どんなにお待ちしたかしれませんわ…」

楠『ほんとかい…寝た子を起こすんじゃないよ…』

女「ほんとよ…会いたさをじっと堪えてまた明日の夜と心だまして寝る辛さ……

♪恋し〜恋いしが〜枕につもり〜嬉し〜嬉しが〜夢となる〜♪

お会いしたかったわ…」

楠『元日そうそう都々逸を聞く と心をそそられれるね…

なんかその気になって来たよ…よし!じゃ何処かへ行こうか!』

女「一人だと気が合うわね…」

楠『^^;……どうもお粗末様でした。m(_ _ )m

 

それでは今年もよろしくお願いいたします。\(^O^)/

2017年1月1日(日)

 

 

 

 

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