浩ちゃんからのメッセージ〜

 

 

1月(第180回)「亥年、新年のご挨拶」

2月(第181回)「幼き頃のお正月、古き良き時代の思い出」

3月(第182回)「雛人形の思い出、そして忘れてはいけない3,11

4月(第183回)「春です!改元にあたって、昭和と平成を振り返る」

 

 

第183回

皆さん4月です!春本番です!
桜も満開です。桜は裏切りませんねぇ^^;
必ず3月の後半か4月の初めには綺麗に咲き、我々の目を楽しませてくれて

『酒を飲んで下さい!』と言わんばかりに花見酒をふるまってくれます。
(桜がふるまうんかい!(><;))
大好きな二代目廣澤虎造師匠の「金毘羅代参」の冒頭に僕の大好きな台詞が有ります。
『万延元年三月の半ば、いずこも同じ花見どき、

桜の花も満開の、人の心も春めいてな〜んとなくいい気持ち』
この短歌を聞くと僕の頭の中には満開の桜が浮かび、

桜を肴に酒を飲んで居る自分が浮かび上がって来ます!
…敷物を小脇に抱え、おにぎり、卵焼き、から揚げ、ウインナーの弁当を作ってもらい

(誰に作ってもらうんじゃい!)
お酒はやっぱり八海山?〆張?浦霞?出羽桜?峰の白梅?

いやいやもっとシンプルに黄桜?大関?
いやいや、懐かしく松竹梅?…う〜ん…
昔のコマーシャルを思い出します。

石原裕次郎さんと宇野重吉さんの掛け合いコマーシャル
「裕次郎!20代の酒とは?」『浴びる酒よ!』
「30代の酒とは?」『迷いの酒よ!』

「40代の酒とは?」『味わう酒よ!』
グッと一息に!『う〜ん!』
♪喜び〜の酒♪〜松、竹、梅!♪
石原裕次郎さんと宇野重吉さんが美味そうに飲む姿が思い浮かびます。
今年の花見は《松竹梅》にするか!(勝手にせい!!)
自分事で恐縮ですが、実は2月の初めから朝夕の寒暖の差で体調を壊し、

桜どころではなかったのです。
どんな薬を病院から頂いても、一向に効かず、

「先生、薬を飲んでも全然よくならないんですが…ーー;」
で又、違う薬を頂いても全然効かず・・・

結局、藁をもすがる思いで違う病院に行ってようやくです!
でも声も枯れ、自慢の美声を聞かせる事が出来ないまま^^;
(何処が自慢の美声やねん!)
浅草ハブのライブでは悲惨な声でした。

でも兎に角、薬が効いて桜が咲き始めると体調も良くなり、美声も返り咲き^^;
桜もいい薬になったみたいですね^^;
これを書いているのは3月の末ですが、

新しい元号の発表と共に桜も満開になっているでしょう!

そうそう、新しい元号になるんですが、
ジャパニーズピープル達はどんな名前になるのか、
自分なりに考えていると思います。

僕も予想はしてますが…^^;きっと予想外の字になるとんでしょうね^^;
でも今の時代、子供に名前を付けるにも思いもよらない漢字を使われるので、
宝くじでは有
りませんが、

新しい元号と同じ名前の方が出て来る可能性があるかも^^;
兎に角、4月1日が
楽しみですね…。


新しい元号と共に少し昭和を振り返ってみたいと思います。
このメッセージに書いた話ばかりですが…^^;
昭和26年生まれ!昭和で38年間色々な事を経験し、平成で30年とちょっと、

あっという間の67年!
…思えば長く生きてきました…。^^;
こんな事言うと今の高齢の方達に怒られそうですが、

『67歳、まだまだ若いじゃないの!なんだ、俺から見たらまだヒヨッコだよ!』
『まぁ、若いわねぇ!これからよ!羨ましぃ!』
デキシーキングスのお客様は結構高齢者の方が多いんです。

それでもってまだまだお若いんです^^;最高齢で昭和4年生まれかな^^;
お元気なんですよ!

『浩ちゃん!私の目の黒いうちは、しっかり浩ちゃんを見てるからね><;
…でも応援してるからね(^0^)』
と優しい言葉も忘れないで入れてくれる。
でも、僕の父母の時代を考えると、僕なんかは長生きしている方です。

20歳も長く生きてるんですよ!\(^O^)/

《昭和の思い出…区切りをつけるとしたら(まだ元号が変わる訳では有りませんが…気持ち的に^^;)
幼少の頃、母の背中におぶわれていた時代、直ぐに泣いて母親を困らせていた(ノД`)・゜・。
小学校の悪ガキ大将!母のお金、姉のお金に手を出し、こっぴどく怒られたり…!
でも、近所では一応正義の味方「浩ちゃんと遊んでたら心配ない」と言われて、

町内の子供たちの先頭に立ち、子分を引き連れて遊びまくっていた頃、
まぼろし探偵!月光仮面!赤堂鈴之助!少年ジェット!怪傑ハリマオウ!すべて僕が主役でした。
そしてなんと言ってもテレビのない時代!

『おばちゃんテレビ見して〜』「いいよ、上がっといで!」
何時もは子供番組を見せてくれるのですが、たまにおじさんがテレビを怖い顔で見とる!
テレビを見てると、おじさんがいきなりチャンネルをNHKに!
三浦浩一(歌手)が伊豆の踊子の歌を歌っている!…でも何も言えない(/_;)
我慢して見させられた思い出^^;さっぱりわやや!−−;
お陰様で今でもその歌が耳から離れません!><;
《♪さよならも言えず、泣いている、私の踊子よ、あ〜あ船が出る♪》^^;


中学時代!2年生になる時、
(義兄)桂小春団治(桂春坊→桂小春団治→露の五郎→露の五郎兵衛)さん家に引き取られた時代、
転校届を市役所に届けた時、役所の方が

「昭和26年生まれだと、まだ中学1年生にもう一回行かないとダメですね」
と言われた思い出

(姉のお陰で無事に中学二年生になれましたが…
聞くところによると保育園を早く卒園したらしい)^^;
転校した中学校で初めての給食!

キューピーマヨネーズ、マーガリン、それにコッペパンも美味しい!
それに牛乳にサラダ!
(小学校時代は脱脂粉乳にまずいコッペパン、それしか印象にない!

脱脂粉乳を飲めない奴がいて、
給食時間、遊び時間脱脂粉乳と睨めっこをして午後の授業!
先生が『もういいよ!せやけど明日は飲めよ!』^^;
鼻をつまんで一気飲み!でもしない限りあんな不味い物は飲めません!)
中学一年の時は自分で作る弁当!

梅干を御飯の真ん中に入れ、毎日厚揚げ二枚を焼いて持って行くか
キャベツを炒めたり…ひどい時は御飯だけ!
おかずは友達のをくすねる!^^;)これは天国か別世界かと思いました。
特にマヨネーズを食べた時の感動は忘れません!
あと、噺家の家ですから、家に遊びに来た芸者さんとの出会い

(マジで惚れてしまいました(;;)長くなるので^^;)
オカマバーにも連れていかれました!^^;

この頃です『食べてしまいたいくらい可愛い〜!』
とオカマさんに抱き着かれた思い出。
今でもたまに言われます。

(誰が言うねん!おこるで〜!ほんま…><;ええかげんにせい!)

高校時代、剣道一筋!子供時代のチャンバラの夢が叶いました。
座頭市の物まねが上手でした。ついでに宮本武蔵も、二天一流!
座頭市の形態模写はデキシーキングスに入ってからも

二次会、宴会の売りでございました!
『キングスの二次会は楽しいから又呼ぼう!』

それ程デキシーキングスの二次会は楽しかったんです。(^0^)/
話を戻しますが、
中学二年生からビートルズやベンチャーズ、プレスリーにも凝って、ギターを始め、

中学三年からメンバーを揃え手グループサウンズ。
暇があれば練習をしてました。
この時からドラムをやらされておりました。^^;
高校に入って剣道部とエレキの二足の草鞋を履いておりました。
高校の文化祭、

一年ではギターでバンドを組み、ビートルズやグループサウンズを!
一躍人気者に!
2年の時はワイルドワンズやタイガースをリードギターで!(^0^)/
3年の時はドラムでベンチャーズをやり、

男子学校では有りましたが、一躍人気者に!番長に気に入られたりなんかして
嬉しくないような嬉しいような^^;
そして進路問題になった時、

義兄、露の五郎さんに「グループサウンズをやりたい」と告白したら…
色々感動の話が有りまして^^;
兄貴のこれぞ、芸人!と言う伝説の説教!^^;
昔の話ですが、いい思い出でした。
そして高校卒業式の日の夜、

皆さんには信じられないでしょうが、露の五郎兵衛さんからの性教育
「浩兵衛!ちょっとここへおいで」『ハイ』
「あーちゃん(うちの姉)こけしとコンドームを用意をしてぇ!
ええか、これから社会に出たら女性といい関係になるかもしれん、

つまりセックスや!
そんな時あわてんでもいいようにコンドームの付け方を教えといたるわ!

ええか、これがコンドームや!
この先をつまんでな、捻って、チンチンにあてがうんねん!

輪っかをゆっくりしたに下げて行くねんで!一番奥までや!
慌てて爪を立てたらアカンで!…穴でも開いたら大変やからな…^^;

浩兵衛もやってみい!」
「はい…こうやって…こういう風にして…ずっと下げれば…」
『そうそう、ゆっくり慌てずに、上手やん!』
(ここの描写はいらんかったな^^;)
…お陰様で上手くつけられるようになりました。

…一夜でマスターしました…ハイ!
(何がハイや!…う〜ん、でも凄いわ!羨ましい!…いかんいかん^^;)
コンドームの付け方のレッスンが、

高校卒業式の日、無事に執り行われました。^^;
それが終わると今度は8ミリの映写会!もちろん性教育の映写会です。
ずっと見ていると、男ですから、何が何するでしょう…ムクムクと!?^^;
感動に浸っている時ですよ!
一つ嫌な事が有ったのですが、

後ろで僕の姉が一緒になって見ているんですよ!
信じられますか?コンドームを付ける時から…最後まで…そんな家庭でした。

…バンザーイ\(^0^)/

高校を卒業し、大阪のユニバースで義則忠雄とキャスバオーケストラで、
一年間バンドボーイの修行をし、叩き上げられました!^^;
この時のもう一つのバンドのボーカルが和田アキ子さんでした。

この時にはスカウトされ『笑って許して』を歌って大人気でした。
さて修行も終え、花の東京へ乗用車一台に布団を詰め込み、
必要備品、それに姉と親戚の運転手の三人が車に乗り、

10時間かけていざ東京へ!
薗田憲一さんへの紹介状を頂いたのですが、

これはもっと後になってから役に立ってきます。
オーケストラに知っているバンマスが居たのですが、

怖すぎて^^;挨拶だけしてドラムの方を紹介してもらい、
ドラムを少し習ったのですが、あまりにも横柄で、生意気で、
一日限りでおさらばしました。^^;
浦和のキャバレーでドラムを探していると聞いておりましたので

…こういう時に兄貴の言葉が役に立ちました。
 《捨て目、捨て耳》見て無いようで見てる!聞いて無いようで聞いている!

《捨てぜりふ》は違いますよ!これは喧嘩になります。
一本の細い糸をたどって紹介もないまま、浦和のキャバレーアポロへ!

若いと言う事はいい事ですね!
怖いもの知らず、誰も知っているミュージシャンもおらず、

ただただ「新宿の〇〇バンマスから紹介してもらってきました」
紹介なんかしてもらっておりません^^;何とかなるだろうと

「遊ばして下さい!」
昔はその一言でキャバレーで勉強することが出来ました。
一応オーディションと言う形でしたが、バンマスに気に入られ見事合格。

東京デビューは花のチャンバレー浦和アポロからスタート!
4年間色々なキャバレーを回り、

キャバレーバンドの仕組みや、譜面の読み方を覚えながら、
楽しい酒も覚え、ホステスさんには結構もてましたよ!

(何しにいっとんねん!勉強せいや!)
いやモテましたけど、

ホステスさんとの恋愛、デート、お付き合いは、
この時代絶対やってはいけない法律…ではないな^^;
キャバ律?とでも言うんでしょうか^^;
バンドの控室に禁止事項としておおきくかいてありました。
一、ホステスとの恋愛禁止!もしこの規則を破ったものは直ちに解雇、

バンドは全体責任として減給に処する。
二、デートも禁止!
凄いでしょ!商品には手を出すな!と言う事なんですが、

なるべくホステスさんの顔を見ずに毎日を過ごしていたように思います。
でも向こうから声を掛けて来るから怖い!−−;
話しはそれますが、町屋のキャバレーに務めていた時、

ギター引いている奴がめちゃくちゃ恰好がいい!
ホステスさんが言い寄ってくるんですね^^;
とうとうすごい美人の方と出来てしまって
(何が出来たんや!そこんところを詳しく説明してもらわんと)
つまり、同棲し始めたと言うのも有りますが、

うわさが噂を呼び社長の耳に入りました。
バンドマスターが呼び出され、ギター解雇通告を出されてしまった!

ギターの奴はのんびりした奴で
「いいよいいよ、仕事が無いわけではないし」と辞めてしまった。
普通はここで話しが終わりますが、ここからが凄い!
(うんうん、なんか佳境に入って来たな、それからそれから、
包み隠さず白状せいよ!)
なんか書いている僕も興奮してきたなぁ^^;
ギターが辞めてしまった後、

今度は付き合っていたホステスが、その店を止めると言いだしたから大変!
普通のホステスだったら『あ、そう、どうぞ。』となる訳なんですが、

そのホステスさん?1のホステスさん、
売り上げの大部分をそのホステスさんの稼ぎなので、
店としては『待遇をよくするから、給料を上げるか。休みも作るように…』
あの手この手で口説きましたが駄目!
社長が『じゃどうすればこの店に居てくれるの?』…

「ギターの方を呼びもどして下さい。
お付き合いも、お客様にはわからないようにするから、
それが駄目なら辞めます!」
次の日、ギターの奴が帰って来ましたよ!すました顔をして
『またよろしく』だってさ^^;
詳しく聞くと『あの子?うん、一緒に住んでるよ…

お店が帰って来てくれって言うんだから』
何事もなかったような顔をしやがって><;
その男の容姿:1m80センチ、やせ型、黒縁の眼鏡、髭を生やし、

顔は彫が深く鼻高く!イタリア人男性のタイプ!
(そりゃ、あんさん負けますな、かないまへん!)
ちょっと長すぎたかな…つい情が入って^^;


24歳の時1975年、昭和50年8月、キャバレー卒業と同時に
《薗田憲一とデキシーキングスに入団》
デキシーキングスは未知の世界!
色々楽しい事や、迷う事や、悲しい事や、辛い事もたくさん有りました。
音楽の世界で僕の場合、気を遣う事なんか経験上、目をつむってても出来ます。

でも…やはり本職のドラムが難しいです。
それが辛くて悲しかった。

練習しても思うようにいかず、ゴチャゴチャ言われるし^^;
『今に見てろ!』精神でした。

でも一つ言える事は薗田さんと知り合えた事に尽きるかな…。
最終的には薗田憲一さんが亡くなるまで一緒に出来た幸せ!

立川談志師匠を始め、色々な方とも知り合えた幸せ…
薗田さんが亡くなった今でも、デキシーを愛する精神は僕の心に残っております。

(かっこいいじゃねぇか!)
今のご時世、「このご時世だからねぇ、仕事を選べないんだよ!」
これも悲しい現実ですね。
入団した頃はテレビやラジオ、コンサート、デパートのオープニング、全国ツアー、

勉強する暇がないくらい忙しかったです。
月38回も働いた事も有りました。

と言う事は一日2回や3回の時も、休みは人並みに有りましたし…。
バリバリ体力も有りましたから、楽器運ぶことは全然苦じゃないし、

初めの2,3年はバンドボーイのつもりで働いておりました。
一番緊張したのはやっぱりテレビでしたね。

僕が入団した頃はNHKが多く、
「お母さんといっしょ」「ワンツードン」「ゆかいな音楽」
民放もほとんど出ました。

印象深いのが「8時だよ全員集合」
ライブ版2本とスタジオ版1本、ドリフターズはやっぱり凄い!
NHKテレビで《初お喋り》と言うのが有ったのですが、大失敗ーー;

ドラムソロをハデに3秒くらいやって
「台所中の皿が割れた音でした。」ちう設定。
そのセリフが本番は出て来ず、

実際は『だいどころじゅうのさ、ら、が…ワ、レ、タ、ヨ、(照れ笑い)』
取り直しかなと思ったら『ハイ、オッケーです』

ディレクター、プロデューサー、スタッフ皆さん大笑いして
『いい!いい!いいよ!』だって^^;
キングスの思い出は尽きませんが、今は後進の指導?…もない!

少しでも僕の背中を見て育ってくれればなと…。
…でももう背中を見る奴はいないか^^;


昭和59年〜昭和64年(平成元年)迄ディズニーランドを勤め上げました。
平成元年、目黒から武蔵村山に引っ越し、ここから平成のスタートでした。
ご存じのようにデキシーキングス在籍43年、8月で44年目に入りますが、

デキシーキングス、いやデキシー業界、
いや他のジャズミュージシャンも含め、今は大変な不景気!
バブリーになってもおかしくはない経済状況だと思うのですが、
考えてみればバブルが弾けてから、倒産する大企業も出て来たリ、
会社の経営などは二代目、三代目が継ぎ、

気が付いたら「デキシーランドジャズってなに?」て言う若い方が多くなり、
パーティーなんかの仕事はBGMとかピアノ一本とか弦楽四重奏団とか
デキシーなんてあまり呼ばれなくなりました。。寂しいですね!
そんな時代になったんですねーー;
僕の時代は、ベニーグッドマン、ルイアームストロング、

グレンミラー、ジーンクルーパー、日本ではジョージ川口ビッグ4、
北村英二、ジミー竹内、猪俣武、小野満戸スイングビーバー、

#&♭、ニューハード、ブルーコーツ、
もちろん薗田憲一&デキシーキングス、
そんな時代を生きてらっしゃった方が会社経営なされていたりしてましたから、
パーティー仕事やデパートのオープニング、イベント関係、
テレビやラジオの仕事もふんだんにありました。
青年会議所、ライオンズクラブ、ロータリークラブなんかも結構呼ばれていたものです。

今の時代は・・・
僕たちの演奏を実際生で見て頂けば楽しい音楽だとわかるのですが、
中々ライブハウスまで足を運んでもらえなくなりました。
…残念です。

でもまぁ、何とかミュージシャンの皆さん生きてらっしゃるので^^;…
頑張りましょう!(^0^)/

色々言って参りましたが、昭和も波瀾万丈で楽しかったです。
平成も楽しかった事も有りましたが、大きな災害も有り辛い日々が有りました。

でもそれを糧に頑張り笑顔を絶やさず頑張ってます。
やっぱり笑顔っていいですね!

笑顔でいれば幸せは向こうからやってくる気がします。
笑顔を与えられる、そんなミュージシャンで居たいですね。
どんな新しい元号になるのか、4月1日11時30分に発表らしいです。
感動の一日になるでしょうね!
…でも元号が決まるだけで、本使用は5月からです^^;
今月も宜しくお願い致します。\(^0^)/

2019年4月1日(月)

 

 

 

 

第182回

3月です!\(^0^)/
お雛祭りですね!
もう子供も独立しており、自分の家ではお雛様を飾る事も無くなりましたが…
ヒッジョーにさみしー!(><;(財津一郎かい!?)
娘の家では毎年必ず、ひと月前からしかっりお雛様が飾られております。嬉しいですね。\(^0^)/
娘が嫁ぐ前は、毎年僕がお雛様の用意をしておりました。
お雛様の冠を付けるのが結構難しい!そして煌びやかな扇子を持たせ、美しく仕上げます。
そして、お内裏様の冠を付け、刀を差し、凛々しい感じに仕上げ、
金の屏風の前のひな壇に、少し内側を向いた形でお雛様とお内裏様を座らせます。
……大した事では有りませんが、毎年楽しみでした。

娘が生まれて、初節句の時、
雛人形で有名な浅草橋の《人形の秀月》へ雛人形を買いに行きました。
CMは森光子さんだったか…美空ひばりさんだったか、忘れましたが^^;
当時買った値段が20万ぐらいだったと思います。
今だと1,000万円位するんじゃないかな…(そんなするわけないやろ!−−;)
すいません!つい話に情が入って(’◇’)ゞ
当時にしては凄い高額!清水の舞台から飛び降りたつもりで、泣く泣く買わせて頂きました。
(泣くんだったらやめりゃぁいいんじゃ!)
よく吟味して、自分が気に入った顔をしているお雛様を…人形は顔が命ですから^^;
ああでもねぇ、こうでもねぇと考え悩み、お店の方と相談しながら買いました。
安いのでもいい、気持ちがあればなんでもいいと、
初めは手ごろなお雛様を買うつもりだったのですが、
やっぱり見て行くうちに、高額のお雛様に目がいってしまいます。
その内「これだー!」というお雛様に出会い、見とれてしまいました。
お内裏様の凛々しいお顔、お雛様が美しくて…
飽きないし…う〜ん…惚れてまうやろ!\(^0^)/(そんな大層な!)
当時僕はそれなりに稼いでましたから^^;(うそこけ!><;)
高いだけあって、今も買った当時のまま、綺麗で美しいです。
でもその当時、秀月さんから送って来たものが、僕が選んだのと違うような気がして…
目が少しアンバランスに見えたので、秀月さんに電話しクレームを入れました。
秀月の偉い方と人形を作った人形師がお見えになり、懇切丁寧に説明を受けました。
やっぱり値段が値段ですから人形師の方も来たんでしょうね。
『取り替える事は簡単なんですが、この目がほんの少しづつ違うのが「人形の命」なんですよ!
お雛様らしい顔をしてると思いますよ……
お雛様は、ほんの少し内側を向かせると……如何ですか?…
いい顔をしてると思いますよ』
「人形は顔も命だけど、大事なのはやっぱり目が命なんだ…なーるほどなぁ〜」
『何十年たっても、この美しさは変わりません、それ以上に毎年美しくなっていきます。』
1時間くらい説明を受け、なんとなく分かったような気が…(♯^.^♯)
そんな事言われたらクレームをつける事なんてとても出来ません!
それに、説明を受けているうちにだんだんいい顔をしているように見えてきました。^^;
(なんやねんそれ!^^;)
結局そのままお雛様を家に置くことに決定!万歳!\(^0^)/
大事にして37年!やっぱり職人さんの言っていた事は本当でした。
お雛様はだんだん綺麗におなりあそばしまして、今や絶世の美女となりました。…冗談ですが^^;
現在でも、雛祭りシーズンに娘の家に行くと飾ってあります。
娘が赤ちゃんの頃から学校を卒業するまで、ぼくが家にいる時は、
必ず3月3日は一日中「嬉しいひな祭り」のレコードをかけて盛り上げてたことを思い出します。

♪♪《(^^♪あかりをつけましょ ぼんぼりに お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓(ふえたいこ) 今日はたのしい ひな祭り

お内裏様(だいりさま)とおひな様  二人ならんで すまし顔(がお)
お嫁(よめ)にいらした 姉(ねえ)様に よく似(に)た官女(かんじょ)の 白い顔

金のびょうぶに うつる灯(ひ)を かすかにゆする 春の風
すこし白酒(しろざけ) 召されたか あかいお顔の 右大臣(うだいじん)

着物をきかえて 帯(おび)しめて 今日はわたしも はれ姿(すがた)
春のやよいの このよき日 なによりうれしい ひな祭り♪》

そんな娘も二児の母、時代が通り過ぎるのが早すぎますね。(ノД`)・゜・。

さて、もう一つ3月と言えば2011年 平成23年 3月11日
忘れもしない東日本大震災辛い出来事が有りました。
阪神淡路大震災も僕にとって忘れる事の出来ない大震災ですが…。
《地震、雷、火事、親父》小さい頃からよく言っていましたが、地震は本当に怖い!
ついこの間、カリフォルニアダウンと言う映画を見たのですが、

(カリフォルニアが地震で破壊される映画)
これ映画を見たその日に北海道厚真町の方で震度6弱の地震!
被害はそれほどでもありませんでしたが、あまりいい気はしませんでした。
最近の映画はCGのお陰でリアルに再現が出来るので、怖いです。
2011年3月11日、2時46分、大地震の時…僕が何処でどうしていたのか、
もう一度振り返って読んでみたいと思います。お付き合いください!^^;

《3月11日午後2時46分その時…楠堂は!?》
《『まだ鮮明に記憶が残っておりますが、
笑う人は大いに笑って頂き、感心する人は大いに感心して下さい!^^;
3月14日に西宮へ兄貴(故)露の五郎兵衛の三周忌で帰り、
15日に姫路でコンサート!で次の日16日に浅草ハブで自分のライブ!
姫路から東京に戻っても家に帰る暇が無いので、
浅草ハブで着るユニホームを前もって置いておけば楽だし、
浅草で温泉でも入ってのんびりしようかなと思っておりました。
11日が休みだし暇だし^^;この日に持って行こうと、
1時過ぎに家を出てバス、西武線、東西線、銀座線と乗り換え!
電車に乗る時は、暇だから何時も本を読んで通勤!^^;夢中になって本を読んでおりました。
日本橋から銀座線に乗り、上野を過ぎ稲荷町が過ぎた辺りで電車が急停車
『信号待ちかな?』
すると電車が揺れだした。
『おっ、動いたな』とまだ本を読んでおりましたが、
その揺れが不思議にだんだん大きくなりだしました。
『えらい揺れるな!次が田原町なのにこんなスピード出してどうすんねん!』
と窓を見ると壁が動いてない!電車も走ってない!
『なんやこれは!なんやこの揺れは!』
だんだんだんだん揺れが凄くなって行く!
『地震かー!』
周りのお客様の反応見ると大して騒いでない。
本に読みふける人、携帯を触っている人、僕は隣の女性に助けを求めた!^^;
『この地震、で、で、で、でかいんじゃないですか?』
「…そうみたいですね」とあっさりと…
なにがそうみたいやねん!で、で、でかいやんけ!!(考える事はみんな大阪弁になる!)
これだけでかいのに誰も騒がん!どうなってんねん!
揺れもピークだと思うぐらい最大限に!すると車掌さんのアナウンス
《ただいま関東に大地震!が発生いたしました!しばらくお待ちください!》
『−−;−−;−−;−−;』もう僕はパニくっておりました!
まずどうすれば良い!?地下鉄だから、何か有ったら窓から逃げなければ!
立ったり座ったり……そうだまず家族の安否、電話だ!携帯は何処だ!
カバンから探し出し、まず娘……出ない!(;;)
息子だ!…不通になっている!じゃ、家だ!…これも不通になっている!
《外は家の崩壊と火事で凄い事になっている!》
そんな事を思いながら周りを見ても、騒いでいる乗客は一人も居ない!
隣の車両を見ても…本を読みふけっている人、携帯を触っている人^^;−−;
どうなっとるんじゃこの人達は−−;パニくってるのは僕一人だけ…
立ったり座ったり…そして又車掌のアナウンス
《ただ今関東に大地震が発生致しました!車内は安全です!
窓から決して出ないように!車内は安全です!
ただ今関東に大地震が発生致しました!車内が一番安全ですので窓から出ないように!》
僕は完全に東京の終わりかと思いました!まだ揺れている!まだ揺れている!…………。
揺れる中、僕は訳も無く立ったり座ったり、カバンに手を突っ込んだり…^^;
完璧にパニくっておりました。携帯でヤフーを検索、地震情報を見た!
【東京震度5】^^;僕自身、電車の中では震度7の感じ^^;

この時は東北の地震は知りませんでした。
15分位経って

《ただ今、線路は大丈夫と言う情報が入りましたので徐行運転で田原町まで参ります。
この電車田原町止まりとさせて頂きます》田原町まで行く間の遅い事!
変な音をさせながら「ギ〜ギ〜ギ〜」取り合えず、田原町に到着!
表へ出ると田原町は無事でした!(^0^)/
でも外に出ると殆どの方が店の外に出ており、
雷門通りなんかは、ほとんど人が道路に出て携帯を見たり、ビルを見上げたり…
人がいっぱいで、車なんかも全然動いてなくて、地震の怖さを物語っていました。
ハブへ行くと店長のアキちゃんが「楠堂さーん!怖かったー!」
見るとグラスがいくつか割れている、ミキサー室の機械も倒れており、
地震の凄さを物語っておりました。
よく見ると、隣のカレー屋さんの壁もタイルが剥がれ落ちておりました。
相変わらず家族には連絡取れず^^;
コーヒーでも飲もうと雷門通りのロイヤルホストに入ろうとした時、またグラグラ!
3時17分位、余震である!
慌てて雷門通りに出たら皆さんビルの中から飛び出し来て、
みんなビルの上を指差している!ビルが揺れているのだ!
しばらくして治まった頃、ロイヤルホストの中へ!店内には3組位のお客様だけ!
コーヒーを飲んでいるうちにお客様が誰も居なくなり、
店員の方が「もうこの地震で料理も出来ないので店を閉めます。
居るのはいくら居ても良いのですが、飲み物しか有りませんので、」
別に行くあても無く、電車も動かず、今日は帰れそうに無いのでホテルを予約!
そしてロイヤルホストで見た携帯電話のワンセグテレビのニュースは衝撃的でした!
目を覆いました!信じられない!−−;
兎に角、東京でこれ程の地震に有ったのは生まれて初めて!
又、経験したのが地下鉄の中!上も怖いが地下も怖い!
未だに東北地方、北関東に余震が続いている!

もう大きな地震が来ない事を祈るしか有りません!
以上、『そのとき、楠堂は!?』でした。》

もう8年になりますが、近い将来必ず大きい地震が来るらしいので、覚悟をしておかないとね(;;)
でも来ない事を祈ります。
改めて東日本大震災の被害にあわれた方達の、ご冥福をお祈りしたいと思います。

最後に《言いたい放題》
☆お医者様に一言!
2002年(平成14年)辺りから病院のお世話になるようになりました。
何かって?…痛風−−;一年くらいで発作は出なくなったのですが、
年齢を重ねるにしたがって悪い所もだんだん出てきます。^^;
痛風は一生ものの病気らしいので、薬は欠かせないそうなんです、
月に一度、お薬を貰わなければなりません。
年に一度の胃カメラ、レントゲン、大腸がん検診、前立腺癌検診、
もう17年ほどお世話になっております。
その病院はとっても人気も有り、いい病院なのですが、
何時の頃からか、カルテがパソコンの中に記入されるようになったんです。
それと同時にお医者様との会話が少なくなり、こちらを向かずにパソコンに記入が忙しく、
会話することなく診察が終わる事も多くなりました。
最初の頃は、決まったお薬なので受付で「お薬だけお願いします」と言うと、
1,300円位払えば処方箋を出してくれていたのですが、
何時の頃か^^;診察を受けなければお薬が出せないと、法で定められました。
何時間も並んで待って、薬をもらうのにパソコンのお手伝いしに行っているようなもの…
これってどうなの?
昔みたいに『丸岡さん、最近調子はどうですか?おしっこの出はどうですか?
…うん?…大丈夫ですか!…うん?咳が出る?…
ちょっと喉を見てみましょう…口開けて…アーって言って下さい…大丈夫ですね…
熱は?ない…うがい薬でも出しときますか?あとお薬は何時ものでいいですね。
はい、帰っていいですよ…寒いですから気を付けて下さいね』
昔は顔を見ながら、こんな会話が出来てたんですが、今はちっともこちらを見なくなりました。
パソコンですべての記録を残さなければいけないんでしょうけど…寂しいですね…。

☆混雑時の電車!
『すいません!降ります。おります!オリマース!降ろして下さい!』
今の若造達!おっさん達!は動かない!
逆に降りる時は何も言わず押してくる!まるでぶつかり稽古でもしてるみたいに−−;
かとおもうとヒステリックなおばさんは、空いているにもかかわらず、手で押しのけて行く!
昔は『すいません降ります。』と言えば無理してでも皆さん寄ってくれたものでした。
もちろん若い人から年寄りまで!
この間、山手線、高田馬場駅で降りようとしたのですが
『降ります!通してください!(大きな声で)オリマス!』出口付近まで行ったのですが^^;
乗ってくる大群が凄まじく、奥へ押し戻されてしまいました。(ノД`)・゜・。まるで津波じゃ!
目白駅は動かないですから、池袋まで降りれませんでしたた。
逆に笑っちゃいましたけど…
今はもう押す時代!何だなぁと痛感!
ぶつかり稽古精神で行かないと、この混雑時の電車にはついていけない!

久し振りの言いたい放談でした。
まだまだあるのですが、こんなもんにしといたろか^^;
お後がよろしいようでm(_ _ )m

それでは、今月も皆様、応援よろしくお願いいたします。\(^0^)/

2019年3月1日(金)

 

 

 

 

第181回

さて、2月です!\(^O^)/
お屠蘇気分も抜け、「さて、頑張るぞ!」ってそんな気持ちになるこの2月!
しかし…仕事のスケジュールが…隙間風が吹いております。^^;
浅草ハブが改装工事で約二ヶ月間お休み!…どおりで隙間風が吹くわけです。^^;
でも2月は個人的な用事も有るので、休みを有効活用したいと思います。
そう言えば、やっかいな確定申告も有るし^^;計算がめんどくさい(/_;)けど

国民の義務なので…^^;頑張りましょう!\(^O^)/

バレンタインデーも有ります…が、もうほとんど現役から遠のいております^^;
2月14日、昔…バレンタインの当日、浅草ハブで仕事をした事が有りました。
何年前だろう?兎に角、若かったです!

一杯チョコレートを頂きましたが、凄い数でした。
メンバーの皆さんもそれなりに貰っておりましたが、義理チョコとは言え僕は38個頂きました。
世界最高新記録!…んなわけないです。^^;
大きな紙袋に愛がいっぱい!?(#^.^#)
家に持って帰ると子供たちが驚きと喜びようが凄かった事を思い出しました。
「お父さん、凄いね!これみんな食べていいの?」『いいよいいよ、ちゃんと歯を磨くんだよ』
「お父さんて…もてるんだね!ありがとう!頂きます。」
可愛い娘がチョコレートを食べるのを見て、優越感に浸っていた時代が懐かしいです。^^;
その娘ももう二児の母、8歳と4歳になる孫がいる…かわいい孫たちですが、
もう随分おませさんな子供になって来ました。


突然ですが『坊さんが二人こっちに歩いてくるでぇ…
これがほんとの和尚がツー(お正月)』「帰れー!(><;)》」
『すいませんつい話しに情が入って^^;』

「情なんかいらんわい!正月がどうした!」

今年の正月、毎年恒例の新年会、
娘の家で毎年ジイジと息子の伸大も呼んでもらって賑やかに新年会を開催して頂きました。
正月にはやっぱりお年玉を上げないといけませんので頑張りました。(^_-)-☆
僕の場合、お年玉の額は赤ちゃんの頃から小学校一年生までは一律千円のお年玉!
2年生(二千円)3年生(3千円)

そして6年生まで数字通りのお年玉を上げる事を決めております。
金額事態は楽そうに見えますが…

昔、僕の兄貴所へ新年会で呼ばれておりました。
次女が子供三人、(今は四人と一人のひ孫)
長女の子供が三人、凄い子だくさんです。

毎年上げて行かなくてはならないので、大変でした。
その分、自分の子供も貰うのですが^^;
今はもう行ってませんが^^;今行っていたら大変です(T_T)


話を戻します、『はいこれお年玉』と二人の孫に上げる!
僕の息子も孫にお年玉を渡す。
子供達は喜んで違う部屋に行き中身を確認する。

下の子供は未だ価値が分からないからいいのですが、
上の子は3年生、これくらいになるとお金の価値が分かってくる。

ニヤニヤして帰ってくる…。
一番多かったのは誰?と、小さな声で聴くと

「お父さんお母さん!次に青梅の爺ちゃん祖母ちゃん…んで…ノブ君…でじいじ」
『じいじが一番少なかったの?』思わず息子の顔を見た!

「たまにしか会えないから^^;」と照れながら…。
僕がショックなような顔をしていると、孫が慰めてくれます。
「ジイジはいつもいろいろ買ってくれるから大丈夫だよ」

なんでやねん!^^;
それからまさかの信じられない出来事が事が起きた!
息子の伸大が

「お父さん!これお年玉!あんまり入ってないけど」
息子から僕にお年玉!
そんなことしてくれた事が無いのに、あまりの嬉しさに涙が……出ませんでしたけど^^;

「出ぇへんのかい!」
家に帰り神棚に飾って有ります。

いくらかって?凄い!^^;
家族みんな息子の伸君に大拍手でした。

そして家族団らんで正月恒例のしゃぶしゃぶ大会!
しゃぶしゃぶのお肉は僕の係^^;…

そうだよね…こんなところで出費をしてるんだもの、お年玉は相応でいいよね。
「そうだそうだ、気持ち気持ち、よくやった!」


何時だったかな…孫に質問された事が有った
「ジイジの小さい頃はお年玉いくらもらってたの?」
そう言えば…少し子供時代の低学年にタイムスリップしてみたいと思います。

昭和30年代くらいかな!?
僕が26年生まれですから30年代の半ばくらいのお年玉。
あまり良く覚えておりませんが、まだ一円札が使えた時代。

「どんだけ古いねん!−−;」
その頃のお年玉は全部合わせても100円に満たなかったと思います。
90円くらいかな「あと10円!」と嘆いたいたのを思い出します。
一番上の姉(故、露の五郎兵衛のおかみさん)が、

浩二はお年玉が少ないからと言って、姉の知り合いの所へ年始詣りに行き、
5円とか10円とかお年玉をいただいた事を覚えております。
それと親戚のお年玉を合わせてやっと90円!
今との貨幣価値の違いですか?
調べたらこんな事が書いて有りました。
《昭和30年の現在で言う国家公務員1種の初任給が8,700円
 平成19年の国家公務員1種の初任給が181,200円》

30円を今の価値に置き換えると
181,200÷8,700=20.827… ⇒ 30円×20.8=624円となります。》
僕のお年玉が90円位でしたから、1,862円^^;

これで喜んでいた時代が有ったんですよ!
その頃友達は500円とか1,000円の話をしていて羨ましかったですけど、

僕も話を合わせていたような記憶も有ります…−−;

以前にも書きましたが、子供の頃はお小遣いなんてものは頂いた記憶があまり…^^;
少年時代、少年マガジンや少年サンデー、少年画報、漫画少年!

読みたい!付録が欲しい!メンコも!
でもお金が無い!本を盗んでくる訳にもいかず^^;
夜中働いて(大阪駅の屋台のラーメン屋)帰って来て寝ている母親の、

枕の下からそっと財布を…
やったらいかん!やったらいかんと思いながらも、つい手が出てしもて^^;
そっと抜き出し(名人技^^;)小銭をくすねる^^;
『こらー!浩二!』と見つかったこともしばしば…m(_ _ )m。
そんな時は逃げます!逃げ足の速い事!韋駄天の如く!「悪いやっちゃなぁ!」
でも毎日、気づいてか気付かずか、必ず枕の下に置いててくれます。

「そりゃわかっとるわ、あほ!」
それから絶対手を出したらアカン姉の貯金箱!

それも隠してあったのを見つけてしまった!^^;
(取ったらあかん、取ったらあかんと思いながら、つい取ってしもた!m(_ _ )m
10円取り、翌日も10円、又翌日もと(やめられない止まらない♪かっぱえびせん!)
「歌ってる場合とちゃうやろ!それからどうなった?」
癖になって半分くらい使ったところで…とうとう見つかりました!

「どうなった?」
『誰や−!姉ちゃんの貯金箱から金取ったのは?…浩二か!

(T_T)どんな思いでこのお金貯めとったか分かるか!?
一生懸命汗水たらして働いたお金を、ちょっとづつ貯めてほしい本を買う予定やったんや!
血の出るような思いで貯めた貯金や!このアホ!泥棒!』
(ドスン!ゴツン!バシ!バシ!ドンドン!ご想像にお任せいたします。(ノД`)・゜・。)
「そら、しゃあないやろ!」もう半殺しです!(話し半分ですから^^;)
お母ちゃんが止めに入ってくれたから、なんとか−−;
僕も若気の至り…

「何が若気や!子供やんけ!あやまれ!あやまれ!お前が悪いんじゃ!」
謝りましたよ。…そういう時代があったから、こういういい男に育ったんですよ!
全ての事において真面目だったら、今頃はホームレスに身を落してるかも−−;
ホームレスの歌《♪イエ ステタデー♪ビートルズのイエスタデイ♪)

な〜んちゃって(^0^)gahahahaha
たまに姉ちゃんと会った時に、その時の思い出話をすると
涙ながらに
「ほんま浩二は悪かったけど…こんな立派になって」って喜んでくれてます。
そんな事が有りました。
まぁ、そんな貧乏な少年時代、90円のお年玉を貰って大喜び、怒られるような事もしましたが、

いい思い出です。

今の時代、あまり貧富の差も無くなり、いい家庭で育っているんではないでしょうか?
お小遣いも適当に貰い、誕生日、クリスマスには欲しい物を買ってもらう。
お金は使うわ、我儘になる、反抗期が来る、満たされる事に不満が爆発!
そんな感じで、色々な事件が起きるのではないでしょうか…。−−;
信じられない事件ばかりです。

自分の親を!自分の子供を!悲しい事件ばかり!
今どきは生まれてくる子供達には当たり前のように何でも備わってる。
テレビ、パソコン他電化製品、ゲーム、スマホ、自転車、キックボード、
遊ぶものや生活に不自由しないものが、当たり前のように全て揃っている。

我々の時代とは雲泥の差です!

この間、孫を公園に連れて行って、ブランコや滑り台で遊ばせたりしていると、
子供等が5,6人ワーっと来て、いきなりベンチに座る!
公園自体小さいので(野球禁止、サッカー禁止)どうして遊んでいいか分からない!

何をするのかなと思いながら見ていると、子供達は公園のベンチでゲームをしだしました。
遊ばないんです…それが遊びなんですね!
わざわざゲームをしに公園へ(;;)
孫とかくれんぼして遊んでいると、ゲームの出来ない子供が

「おじさん!かくれんぼの仲間に入れて!」だって^^;
可愛そうです。全てが!
不満が無いはずなのに、不満が無いのが不満なんです。^^;


昭和30年代、僕が子供の頃!
楠堂浩己(丸岡浩二)昭和26年6月2日、朝4時ごろ生誕!
進化した現在よりも、ほとんど発展してない昭和30年代、物心ついた時…思い出すなぁ…
過去にタイムスリップしたいような夕景の空の色や我が住家の長屋…子供の声や母親の声!
『浩二、かんてきの日をおこして!』

「はーい」
かんてき(七輪)で新聞と木で火をおこし、団扇でパタパタと火力を強くし、豆炭を入れ練炭をおこす。
(おこすとは着けた火の火力を弱めないで炭に火をつける事。)
洗濯機はタライに洗濯板(ウオッシュボード)と洗濯石鹸でゴシゴシ。
『おかぁちゃん、洗濯、僕が代わったるわ』

洗濯石鹸がやけに大きい、それに中々減らない^^;
冷蔵庫は上に大きな氷を入れ、その下に野菜やお肉を入れる。

これを初めて見た時は子供心に感動しました。
(氷の冷気が下に降りて野菜や肉、色々な物を冷やし腐りにくくしてくれます)
テレビは無く( ノД`)シクシク…ラジオのみ!

ラジオでは夕方、《赤堂鈴之助やトムソーヤの冒険》
朝7時には《パパ行ってらっしゃい》

(中村メイコさんが一人4役(母、子供、友達等)ぐらいでやる短編ドラマ)
夕飯時、姉と2人で、テレビがあると言う設定でお喋りが始まる

『姉ちゃん!テレビつけて!月光仮面見よううよ!』
「あたし鉄腕アトム見たいねん!」
「ほなじゃんけんで決めよう!」
二人で『テレビが欲しいなぁ』直ぐ上の姉でした。^^;
テレビもねえ!ガスコンロもねえ!電子レンジって何もんだ!^^;
寝るときにはアンカ(豆炭がはいっております)。

信じられないと思いますが、布団の真ん中にアンカを置き、
並んで寝るのではなく、縦に寝て、お互いの足がアンカにつくようにします。
布団が足りなかったから^^;
火鉢に練炭を入れ家族全員集まり、手を差し伸べ暖を取る。
たまにその火鉢に鍋を置き湯豆腐をするのです。

家族全員で突っつき合うんです。(^0^)/
もちろんご飯を食べるテーブルは有名なちゃぶ台!^^;
ご飯は釜で炊き、おひつに移してから食べるんです。

風情があっていいのですが、夏場御飯が残り、
次の日なら問題はないのですが、^^;2日たったら少し匂いが^^;
でも子供は負けておりません!ご飯の上に砂糖を掛けて頂きます。

(たまに糸が引いている時も^^;…えーえい何のその!(><;)
お掃除は濡れた新聞紙を畳にまいてはたき掛け、後を箒で掃く!
夏はほとんど団扇!その頃扇風機は有りましたが、家にはなかった^^;
そして夏の風物詩の蚊帳と蚊取り線香!(キンチョウの一瞬です^^;)「洒落かい!」
兎に角、近所中の子供たちが集まって何かしら遊びを見つけ、走り回って遊びます。
その辺の草むらにはトカゲやバッタ、蝶々等々、

遊びはチャンバラ、鬼ごっこ、かごの鳥、ゴム飛び、宝取り、ハンカチ落し、
無限にあったように思う。
お風呂も楽しい場所でした。
まぁ、今思うと懐かしい物ばかりですね。良い時代に生まれてよかった。

…でもほんとに何もなかったですね…我が家は特に^^;
母に感謝し姉に感謝し兄弟に感謝しております。


昭和も終わり、今平成を生きておりますが、今年4月で元号が変わり、平成が終わってしまいます。
時代が変わってもしっかり生きて行きたいと思う今日この頃…何気取ってんのかな^^;
《初心忘るべかざる》こんな気持ちで毎日過ごしております。


それでは皆様、今月も宜しくお願い致します。\(^0^)/

そうそう最後に、僕はあまり詳しくはないが、先日《ボヘミアン ラプソディ》を見てきました。
改めて、フレディ・マーキュリーそして伝説のバンド、クイーンに感動!
兎に角、凄いラスト21分に乾杯!\(^0^)/

出演者全員、カメラワーク、エキストラ、素晴らしい!
クイーンが出だした1970年位はドラムの下積み時代で、

大阪、東京のキャバレーバンドで頑張ってたかな^^;
名前は知ってはいたけど…

でも今回、この感動は改めてクイーンを見直したいと思うほどの映画でした!
ビートルズの感動とはまた違う形の感動と衝撃でした。
映画の中でしっかり聞きましたが、心打つサウンドとパフォーマンスの素晴らしさ、
音楽家として見習わなければならない事もいっぱい!
映画での迫力、生で有ればもっとすごい迫力に違いない!
音響も有るだろうけど、4人の演奏とフレディ・マーキュリーの歌とパフォーマンス!
ほんとうに久々に感動しました。久々に参りました。m(_ _ )m
皆様、必見です!


楠堂浩己でした。\(^0^)/

2019年2月1日(金)

 

 

 

 

第180回

皆様、新年あけましておめでとうございます。m(_ _ )m
2019年 平成31年 一月一日 亥年!
年の初め、月の初め、日の初め、心を新たに、楠堂浩己、抱負を語りたいと思います。


去年一年、皆様方のお陰で何時も楽しく演奏することが出来ました。
デキシー界に入って早43年!8月で44年!
もう人生の半分以上どっぷりと首までデキシー界に漬かり^^;

…ええ気分じゃ(^0^)/gahaha!


でも毎日が勉強でした。(; ・`д・´)
今現在に至って…感じ…思う事は、お客様があっての僕!

楽しく演奏させてくれるのは皆様方の楽しそうに聞かれる姿や笑顔(^0^)
これが僕にとっては一番の励みになり、楽しく演奏することができるんです。
又遠くから足を運んで下さって、喜んでお帰りになり、リピーターになって来て頂ける事も
楠堂、感無量!『僕は幸せだなぁ〜』と思う時です。
今年も楠堂!猪が如く、猪突猛進!全力投球!で頑張りますので、

皆様、応援よろしくお願い致します。m(_ _ )m


終わろうと思いましたが…^^;
この字数では寂しい^^;何かを書かずにいられない^^;
浪曲の廣澤寅造、清水次郎長伝の中に「森の石松」に猪に関係ある事が書いて有りました。
《勝つ事を知って負ける事を知らず…進むことを知って退くことを知らず…》
これが森の石松だったらしいのですが、
こういう向こう見ずな方!無鉄砲な人を《猪武士》と言うらしいです。
猪突猛進!猪武士!今年はそういう方に合えるか楽しみですね。
 
《おまけ》
 むかしむかし、神さまがいいました。
「動物たちよ、元旦の朝に集まりなさい。

一番はやく来たものから十二番目のものまで、順番にその年の守り神にしてあげよう」

 神さまから大事なお役目をもらえるというので、動物たちははりきって元旦を待ちました。

けれど猫だけは集まる日を忘れててしまい、鼠のところに聞きに行きました。

「鼠どん、神さまがおっしゃった日はいつだったっけな?」

 鼠は、猫がこなければ自分がえらばれると思って、
「猫さん、神さまは一月二日に来るようにとおっしゃったよ!」と、答えました。

 気のいい猫は、鼠のことばをすっかり信じてしまい、元旦の朝は寝ていました。

さて、動物たちは元旦の日の出とともに神さまのところへ向かいました。
鼠は先頭をあるいている牛の角につかまって行き、もう少しというところで飛び降りて、
一番に神さまのところへ行きました。
つづいて牛がやってきて、虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪の順番で、

神さまのもとに辿り着きました。

 猫は元旦の朝にたっぷり寝坊をして、翌日の朝はやく神さまのところへ行きました。
ほかの動物たちが来ていないので、てっきり自分が一番だと思い、
「神さま、わたしが一番ですね。大事ななお役目を頂けますか」と、言いました。

 神さまは、すこしあきれたような顔をして、
「猫よ、わしは元旦に来るように言ったはずだよ。

残念だが年を守る役目はすっかり決まってしまった」と、言いました。

 

それで猫は鼠にだまされたことを知り、地団駄をふんで悔しがりました。

 それから猫は鼠を見るとつかまえて食べるようになったということです。》
♪おわり♪

 

♪正月や〜誰の似顔か〜羽子板抱いて〜髷を気にする〜高島田♪
♪掘り炬燵〜さしつさされつ〜ほんのり酔えば〜お前のしぐさに〜一目惚れ〜♪

 

それでは皆様、良いお正月をお過ごしください。\(^0^)/


2019年1月1日(火)

 

 

 

 

浩ちゃんからのメッセージ2018年

浩ちゃんからのメッセージ2017年

浩ちゃんからのメッセージ2016年 

浩ちゃんからのメッセージ2015年

浩ちゃんからのメッセージ2014年 

浩ちゃんからのメッセージ2013年 

浩ちゃんからのメッセージ2012年

浩ちゃんからのメッセージ2011年

浩ちゃんからのメッセージ2010年

浩ちゃんからのメッセージ2009年

浩ちゃんからのメッセージ2009年 

浩ちゃんからのメッセージ2008年

浩ちゃんからのメッセージ2007年

浩ちゃんからのメッセージ2006年

浩ちゃんからのメッセージ2005年

浩ちゃんからのメッセージ2004年